エルサレムの王 ダビデの子 伝道者の言霊

神の宮へ行く時は、自分の足に気を付けよ。

近くに言っても聞く事は、

愚かな者達が生贄を捧げるのに勝る。

彼等は、自分達が悪を行っている事を知らないからだ。

神の前では軽々しく心焦って言葉を出すな。

神は天におられ、あなたは地にいるからだ。

だから、言葉を少なくせよ。

仕事が多ければ夢を見、

言葉が多ければ愚かな者の声となる。

神に誓願を立てる時には、

それを果たすのを遅らせてはならない。

愚かな者は喜ばれない。

誓った事は果たせ。

誓って果たさないよりは、誓わない方がよい。

あなたの口が、

あなた自身を罪に陥らせないようにせよ。

使者の前で

あれは過失だ。

と、言ってはならない。

神が、あなたの言う事を聞いて怒り、

あなたの手の技を滅ぼしても良いだろうか。

夢が多く、言葉の多い所には虚しさがある。

ただ神を畏れよ。

ある州で、

貧しいものが虐げられいる光景

権利と正義が踏みにじられている光景

を、見てもその事に驚いてはならない。

その上役には、それを見張るもう一人の上役がいる。

そして、彼等よりもっと身分が高い者達もいるからだ。

国にとっての何にも勝る利益は、

農地が耕されるようにする主がいる事

である。

金銭を愛する者は金銭に満足しない。

富を愛する者は収益に満足しない。

これもまた空しい。

財産が増えると、寄食者も増える。

持ち主にとって何の成功だろう。

それを目で眺めているだけだ。

働く者は少し食べても多く食べても、地よく眠る。

富む者は満腹しても安眠を妨げられる。

私は日の下に、痛ましい禍があるのを見た。

それは、所有者に守られていた富が、

その所有者自身に害を加える禍だ。

その富は不運な出来事で失われる。

息子が生まれても、その者の手元には何もない。

母の胎から裸でうまれてきた。

その時のように、裸で戻っていく。

誰も

自分の労苦によって得たもの、

自分の自由にする事の出来るもの

を、何一つ持って行く事はない。

これも痛ましい禍だ。

うまれてきた時と全て同じように去っていく。

風の為に労苦して何の益になるだろうか。

しかも人は一生、闇の中で食事をする。

多くの苛立ち、病気、そして激しい怒り。

見よ。

神がその人に与えた命の日数の間、

日の下で骨折る全ての労苦にあって、

良き物を楽しみ、

食べたり飲んだりする事

これが、私がよいと見た事、好ましい事だ。

これが人の受ける分なのだ。

実に神は、

全ての人間に富と財を与えて、これを楽しむ事を許す

各自が受ける分を受けて、自分の労苦を喜ぶ

ようにされた。

これらの事が神の賜物である。

こういう人は、自分の生涯の事をあれこれ思い返さない。

神が彼の心を喜びで満たされるからだ。

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