ローマ人への手紙 第7章
キリスト・イエスのしもべ、神の福音の為に選び出され、使徒として召されたパウロから
この福音は、神がご自分の預言者達を通して聖書にあらかじめ約束された、御子に関する書です。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中から復活により、力ある神の子として公に示された方、私達の主イエス・キリストです。
この方によって、私達は恵みと使徒の務めを受けました。
御名の為に、全ての異邦人の中に信仰の従順をもたらす為です。
その異邦人達の中にあって、あなた方も召されてイエス・キリストのものとなりました。
ローマにいる全ての、神に愛され、召された聖徒達へ。私達の父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなた方にありますように。

それとも兄弟達。

あなた方は知らないのですか。

私は律法を知っている人達に話しています。

律法が人を支配するのは、

その人が生きている期間だけです。

結婚している女性は、夫が生きている間は、

律法によって夫に結ばれています。

しかし、夫が亡くなったら、

自分を夫に結び付けていた律法から解かれます。

したがって、夫が生きている間、

他の男性と深い関係になったとします。

それは、姦淫の女性と呼ばれます。

夫が亡くなったら律法から自由になります。

なので、他の男性と深い仲になっても

姦淫の女性とはなりません。

ですから、私の兄弟達よ。

あなた方もキリストの十字架を通して、

律法により亡くなっているのです。

それは、あなた方が他の方、

すなわち死者の中から甦った方の者となり、

こうして私達が神の為に

実を結ぶようになる為です。

私達が肉にあった時は、

律法により目覚めた罪の欲情が

私達の体の中に働いて、

死の為に実を結びました。

しかし、

今は、自分を縛っていた律法に死に、

律法から解かれました。

その結果、古い文字にはよらず、

新しい御霊により仕えているのです。

それでは、律法は罪なのでしょうか。

決してそのような事はありません。

むしろ、律法によらなければ、

私は罪を知る事はなかったでしょう。

実際、律法が

隣人のものを欲してはならない。

と、言わなければ、

私は欲望を知らなかったでしょう。

しかし、罪は戒めによって機会を捉えました。

私達のうちに、あらゆる欲望を引き起こしました。

律法がなければ罪は死んだものです。

私はかつて律法なしに生きていました。

が、戒めが来た時、罪は生き私は死にました。

それで、命に導くはずの戒めが、

死に導くものであると解りました。

罪は戒めによって機会をとらえ、

私を欺きました。

戒めによって私を殺したのです。

ですから、律法は聖なるものです。

また戒めも聖なるものであり、

正しく良いものです。

それでは、この良いものが、

私に死をもたらしたのでしょうか。

決してそんなことはありません。

むしろ、罪がそれをもたらしたのです。

罪は、

この良いもので私に死をもたらす事により、

罪として明らかにされました。

罪は、戒めによって、

限りなく罪深いものとなりました。

私達は、

律法が霊的なものである事を知っています。

しかし、私は肉的な者であり、

売り渡されて罪の下にあるものです。

私達は、

律法が霊的な者である事を知っています。

しかし、私は肉的な者であり、

売り渡されて罪の下にあるものです。

私には、自分のしている事が分かりません。

自分がしたいと願う事はしません。

むしろ、

自分が憎んでいる事を行っているからです。

自分がしたくない事を行っているなら、

私は律法に同意します。

それを良いものと認めている事になります。

ですから、今それを行っているのは、

もはや私でありません。

私のうちに住んでいる罪なのです。

私は、自分のうちに、すなわち、

自分の内に善が住んでいない事を知っています。

私には良い事をしたいという願いが、

いつもあります。

なのに、実行できないからです。

私は、したいと願う善を行なわないで、

したくない悪を行っています。

私が自分でしたくない事をしているなら、

それを行っているのは、

もはや、私ではありません。

私のうちに住んでいる罪です。

そういう訳で、

善を行いたいと、願っている私に

悪が存在するという原理を私は見出します。

私は、内なる人としては、

神の律法を喜んでいます。

が、私の身体には異なる律法があり、

それが私の心の律法に対して戦いを挑みます。

私を身体にある罪の律法のうちに

虜にしている事が分かるのです。

私は本当に惨めな人間です。

誰がこの死の身体から、

私を救い出してくれるのでしょうか。

私達の主イエス・キリストを通して、

神に感謝します。

こうして、この私は、心の中では神の律法に仕え、

肉では罪の律法に仕えているのです。

          
-