ローマ人への手紙 第6章
キリスト・イエスのしもべ、神の福音の為に選び出され、使徒として召されたパウロから
この福音は、神がご自分の預言者達を通して聖書にあらかじめ約束された、御子に関する書です。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中から復活により、力ある神の子として公に示された方、私達の主イエス・キリストです。
この方によって、私達は恵みと使徒の務めを受けました。
御名の為に、全ての異邦人の中に信仰の従順をもたらす為です。
その異邦人達の中にあって、あなた方も召されてイエス・キリストのものとなりました。
ローマにいる全ての、神に愛され、召された聖徒達へ。私達の父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなた方にありますように。

それでは、どう説明すればよいのでしょうか。

恵みが増し加わる為に、

私達は罪に留まるべきでしょうか。

決してそのような事はありません。

罪に対して私達は死にました。

どうして、なおも

罪のうちに生きていられるでしょうか。

それとも、あなた方は知らないのですか。

私達は、イエス・キリストを受け入れ、

バプテスマを受けました。

罪により死ぬ為ではありません。

キリストの死により罪の赦しに預かる為に、

バプテスマを受けました。

罪は、キリストともに葬られたのです。

そして、キリストは

御父の栄光により死者の中から甦りました。

同じ様に、私達も今までの命は葬られ、

新しい命を歩む為です。

私達がキリストの死と同じ様に死に、

キリストと一つになってます。

つまり、キリストの復活したように、

私達も復活したのです。

私達は知っています。

私達の古い人が、

キリストともに十字架につけられました。

それは、私達の罪の身体が滅ぼされ、

罪の奴隷でなくなる為です。

死んだ者は、罪から解放されているのです。

私達は、

自分達がキリストともに亡くなったのなら、

キリストとともに生きる事になる。

と、信じています。

そして、私達は、

キリストは死者の中から甦り、

もはや死ぬ事はありません。

死は、もはやキリストを支配しないのです。

と、知っています。

キリストが死なれたのは、

ただ罪に対してただ一度死なれたのであり、

キリストが生きておられるのは、

神に対して生きておられる。

と、言う事です。

同じ様に、

あなた方もキリストに

自分は罪に対して死んだ者であり、

神の為に生きている者だ。

と、認めなさい。

また、あなた方の手足を、

不義の道具として罪に捧げてはいけません。

むしろ、死者の中から活かされた者として

あなた方自身を神に捧げなさい。

また、あなた方の手足を義の道具として

神に捧げなさい。

罪が、あなた方を支配する事はないからです。

あなた方は律法の下にではなく、

恵みのもとにあるのです。

また、

私達は律法の下にではなく、

恵みのもとにあるのだから罪を犯そう。

と、考えてよいのでしょうか。

決してそんなことはありません。

あなた方は知らないのですか。

あなた方は、

自分自身を奴隷として捧げて服従したとします。

ならば、その服従する相手の奴隷となるのです。

神に感謝します。

あなた方は、かつて罪の奴隷でした。

伝えられた教えの規範に心から服従し、

その服従する相手の奴隷となるのです。

つまり、

罪の奴隷となり、

死に至り、

或いは従順の奴隷となり、

義に至ります。

神に感謝します。

あなた方は、かつて罪の奴隷でした。

伝えられた教えの規範に心から服従し、

罪から解放されて、義の奴隷となりました。

ですから、

あなた方の死ぬべき身体を罪に支配させて、

身体の欲望に従ってはいけません。

あなた方の肉の弱さの為に、

私は人間的な言い方をしています。

以前あなた方は、自分の手足を

汚れと不法の奴隷

として捧げ、不法に進みました。

同じように、今は

その手足を義の奴隷

として、捧げて聖潔に進みなさい。

あなた方は、罪の奴隷であった時、

義については自由にふるまっていました。

ではその頃、あなた方はどんな実を得ましたか。

今までは、恥ずかしく思っているものです。

それらの行き着くところは死です。

しかし、今は、

罪から解放されて神の奴隷となりました。

聖潔に至る実を得ています。

その行き着く所は永遠の命です。

罪の報酬は死です。

しかし、神の賜物は、

私達の主キリスト・イエスにある永遠の命です。

          
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