ローマ人への手紙 第5章
キリスト・イエスのしもべ、神の福音の為に選び出され、使徒として召されたパウロから
この福音は、神がご自分の預言者達を通して聖書にあらかじめ約束された、御子に関する書です。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中から復活により、力ある神の子として公に示された方、私達の主イエス・キリストです。
この方によって、私達は恵みと使徒の務めを受けました。
御名の為に、全ての異邦人の中に信仰の従順をもたらす為です。
その異邦人達の中にあって、あなた方も召されてイエス・キリストのものとなりました。
ローマにいる全ての、神に愛され、召された聖徒達へ。私達の父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなた方にありますように。

こうして、私達は信仰によって義と認められた。

なので、私達の主イエス・キリストによって、

神との平和を持っています。

このキリストを信じる事によって私達は、

今立っているこの恵みに導き入れられました。

そして、神の栄光に預かる望みを喜んでいます。

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。

それは、

苦難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、

練られた品性が希望を生み出す。

と、私達は知っているからです。

この希望は失望に終わる事がありません。

何故なら、

私達に与え得られた聖霊によって、

神の愛が私達の心に注がれているからです。

実にキリストは、

私達がまだ弱かった頃、定められた時に、

不敬虔な者達の為に死んでくださいました。

正しい人の為であっても、

亡くなる人はほとんどいません。

善良な人の為なら、

進んで亡くなる人がいるかもしれません。

しかし、私達がまだ罪人であった時、

キリストが私達の為に死なれました。

その事によって、神は、私達に対する

ご自分の愛を明らかにしておられます。

ですから、私達は、今、

キリストの血のよって義と認めらました。

だから私達は、この方により、

神の怒りから救われます。

それは、確かな事です。

私達と神は敵でした。

しかし、御子の死によって

神と和解させていただきました。

ならば、和解させていただいた私達が、

御子の命のよって救われます。

この事も確かな事です。

それだけではなく、

私達の主イエス・キリストにより、

私達は神を喜んでいます。

キリストによって、今や、

私達は、神と和解させていただいたのです。

こういう訳で、ちょうど一人の人によって、

罪が世界に入りました。

罪によって死が入りました。

こうして、すべての人が罪を犯しました。

なので、死が全ての人に広がったのと同様に・・・

実に律法が与えられる以前にも、

罪は世にあったのです。

が、律法がなければ、

罪は罪として認められないのです。

けれども死は、アダムの違反のように

罪を犯さなかった人々さえも支配しました。

それは、

聖書の創世記・出エジプト記の頃の事です。

アダムは、

来たるべき方のひな型(テンプレート)です。

しかし、恵みの賜物は違反の場合と違います。

もし、一人の違反によって、

多くの人が亡くなったとします。

ならば、神の恵みと

一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、

なお一層多くの人に満ち溢れるのです。

また、賜物は、

一人の人が罪を犯した結果とは違います。

裁きの場合は、

一つの違反から不義に定められました。

が、恵みの場合は、

多くの違反が義と認められるからです。

もし、一人の違反により、死が

全ての人を支配するようになったとします。

しかし、一人の人イエス・キリストの死により、

死の支配から救われます。

恵みと義の賜物を、

あふれるばかり受けるようになります。

まとめますと、

一人の違反(アダム)により

全ての人が不義に定められました。

それと同じ様に、一人の義(イエス)により

全ての人が義と認められ、命を与えられます。

別の言い方をしますと、

一人の不従順により

多くの人が罪人とされました。

それと同じ様に、

一人の従順により多く人が義人とされるのです。

律法は、違反を増し加えます。

しかし、罪の増し加わる所には、

恵みを満ち溢れます。

それは、罪により死が支配したように、

義もまた恵みを支配しています。

私達の主イエス・キリストにより

永遠の命に導く為なのです。

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