間もなく、船はポード・セイドに着いた。
それは、夕方だった。
翌朝、早く出帆するので、この町を見ようとするには、
夜、見物せねばならない。
それで、W博士を初めとし、
京都大学Iさん・美術家の何某さん・男性の方が6~7人・
私とでポート・セイドの見物にと出かけた。
先ず、土人のはしけに乗って上陸した。
電燈の輝きの明るい町を、
4~5丁行ったかと思ふと暗い町に出た。
これは、土耳古人(トルコ)が主に住んでいる所である。
そこに三人の土耳古夫人が、
鼻の所に、竹筒の様なもののついている
黒い覆面をして通り過ぎた。
私達は、その前面を見ようと思って、小走りに追い駆けた。
けれど、背の高い土耳古夫人の普通の歩みに、
追いつけなかった。
それから、私どもは、ギリシャ人の街に来た。
何れも汚い貧しそうな家ばかりである。
こんな荒れた所に住んでいる人が、とても哀れに見えた。
砂地を通って、12丁行くと、
その地の遊郭と言ったような所に出る。
ドンチャンドンチャン
と大きな音がするので、
その方を辿って暗がりを行くと、
明かりの沢山灯された一軒の家がある。
座敷は、みな、明け放されている。
その中央に、皮膚の真っ黒な婦人が、
やはり真っ黒な髪の毛をおさげにして、
芝居に出るお姫様のかんざしの様なものを、
前髪の所に差している。
着物は、赤いような色だったけれども
その形は良く見えなかった。
婦人を取り囲んで、大勢の男性が、座っている。
婦人が、大きな口を開いて妙な歌を歌う毎に、
彼らは、手真似をしたり、何かして調子をとるのである。
私共は、そっと横から見て、すぐ逃げ出した。
なぜなら、私共が来ているという事を、
彼らが知ったら、必ず捕えて中へ引き入れられるからである。
その他の家は、ごく小さいもので、
三畳ぐらいの座敷にベッドが一つあるばかりである。
私は、実に醜悪を感じた。
他の人も皆そういっていた。
帰途、海岸通りにあるカフェに立ち寄り、
暫く休んだのち、はしけの所へ来た。
それは、夜の十一時頃であった。
熱田丸では、たくさんの土人の婦人が、石炭のざるを乗せ、
梯子を登って船中に入り、
石炭を投げ込んで、他の梯子から降りる。
そして、再び、ざるに石炭を入れて上る。
というように、たくさんの人と灯りとが、
妙な土人の歌にあわせて列をなして、
登ったり下りたりする様子は、
何とも言えぬ詩的な感じを与えるのであった。
私共は本船に帰るべく土人の小舟に乗った。