船が動き出した時、私は夢から醒めた。

意識が明瞭になるにつれ、

友を失った事とそれに伴う悲しさとが、

身に染みるように感じられた

そして、現に自分を帰らしめた朝が恨めしくなった。

しかし、こうしてもいられないので、

朝の仕度をして食堂に来た。

先ず日本人がたくさんいるので、非常に嬉しかった。

食事の最中、急に胸が悪くなったので部屋に帰り、

その日は一日そこに閉じこもった。

けれど程なく、元気が回復した。

三日目頃から甲板に出て、

他の人々とともに楽しい航海をする事が、

出来るようになった。

船は日本船だけであって、

船長や機関長を始めボーイも日本人なので、

全ての事が日本語で運ぶのが何より私には嬉しかった。

いくら幸福であっても、過去5年間は、

何となく居候というような感じを免れなかった。

しかし、ここで初めて自分の天地に入ったような気がした。

乗り合いの客には、英・仏・その他の外国人も沢山いたが、

日本人も少なくはなかった。

其の中には、京大I博士(その時は学士)・

大阪高等商業の教授IKさんだのがいた。

IKさんは私と同時代にコロンビア大学で勉強をしていた。

私より三ヶ月ばかり先に出発し、欧州諸国を漫遊し、

帰朝すべくこの船に乗った。

そして、偶然にも再び私と出会ったのである。

私は初めはIKさんばかりが知り人だったが、

次第にI博士らとも知り合う様になった。

Iさんはまだ若い方のようだが、大変な勉強家であるらしい。

甲板に上ると、

いつも欄干近く長椅子を出して書見しておられた。

Iさんは、大学卒業後、文部省から留学を命ぜられ、

長く独逸におられたと云うので、私は、

Hがこれから行こうとするその地の模様を聞くには、

最も適当な人だ。

と、思い時々その側に座って勉強の邪魔をしたのである。

初めは実にまじめだったIさんが、

親しくなるし従いだんだん面白い人となってきた。

お話の中には奥様が出たり、

または、ご結婚の時、今の奥様が

どうしてもIさんでなければならぬ。

と、仰せられた事なども聞いた。。

しかし、Iさんと私とはこんなお話ばかりしてはいなかった。

往々話題は、全く学問的な事になる事もあった。

Iさんは私に、

博士論文を書いて見ては・・・・

薦められた事もあった。

私は外の人のお話ばかりして、

すぐ近くにお話しておくべき人のいたのを忘れた。

それは、私の同室のミセス・ルウィスという婦人である。

この人は米国生まれであるが、南米に移住しているので、

暑さのため皮膚は普通の英国人より黒い。

それに、髪の毛もあまり美しい方ではない。

けれど、何となく行いが上品なので、

一緒にいるのに心持ちが良い。

ルウィス婦人は、

友も何にもなくこの船に乗ったのである。

日を経るにしたがって、

夫人と私とはいろいろ話会う仲となった。

ある日、昼半後、

夫人と私とは各々自分のベッドの上に横たわりながら

様々の会話に花を咲かせたのである。

夫人はその時、自分の身の上話をして聞かせた。

夫人は、10年程前に先の夫と死別してから、

ブラジルのある田舎で、寡婦暮らしをしていた。

身体が悪いので、再婚はすまい。

と、思うていた。

と、思い時々その側に座って勉強の邪魔をしたのである。

しかし、一昨年頃スウィートハートが出来たので、

その決心を変えた。

それで、

めでたく婚礼式をあげる前に、

体を良くしておかねばならぬ。

と、いうので、今度の旅行を企てたのであるそうである。

And so,when I come home from this boyage,

I shall be a brede again

だから、この航海から帰りましたら再び花嫁になるのです。

と、いかにも嬉しそうである。

これは20歳位の人の口からうれしに出るのなら、

ロマンティックに聞こえるであろう。

しかし、45歳以上にも見ゆる半お婆さんから

こんなお話を聞いては、何と解して良いかわからない。