七日・八日の早朝、私を乗せた熱田丸は纜をといた。

船は再び、暑い暑い蘇士運河(スエズウンガ)や

印度洋を経て、懐かしい故郷に帰らんとするのである。

船客は、朝日に輝く滑らかな海を見ようとして喜び、

勇んで甲板に急いで出る。

笑う聲、話す聲、皆楽しそうに聞こえゆるけれども、

私の心は、寂博である。

静かな海原を滑る様に走る船の心地よい動きも、

小窓から入ってくる潮風の涼しさも私にとっては、

悲しい想い出の種である。

私は、その前夜、この船室の前で原口さんと別れた。

原口さんは、学を續々るため、それより後一年後、

乙に遊び、私は先に帰るという事は、

前から定まったことであった。

さて、目の前にその時が迫ってみると、

今更の如く淋しさと悲しさとを感ずるのであった。

出帆日の前日、通知してきた時して呉れた。

夕食はともに船で食べた。

原口は、

私にできるだけ心配のない楽しい航海をさせよう。

と、思って苦心するのであった。

あるいは、船長に私を紹介して、その保護を頼み、

あるいは、船の医師に私の健康の状態をはなして、

特別の注意を依頼したりなどした。

盗難の心配のないため、金銭を皆事務長に預けた。

お金がいる時には、事務長に言えば、すぐいただけます。

と、原口は、子供にでも言うように私に言って聞かせた。

こうしている内にも、

刻一刻と別れの時は近づいてくるのである。

遂に、その時が来た。

それは、夜の十時ごろであった。

室外に一人で出るは危ない。

と、原口は送っていこうとする私をとめた。

そして、船室の入り口に私を残した。

私は、彼の姿が暗闇にきゆるまで見送った。

姿が消えるとその高い靴音に耳を傾けた。

それも次第に次第に遠くなって、

とうとう、沈黙の中に消え去った。

私は、船室のソファーに打ち伏した。

それは、取り止めもなく流れる涙を、

同室の英国婦人に見せまとしたからだ。

併し、涙は次第に乾いた。

そして、私の心は祈りの態度に変った。

私は一人寂しく友もない独逸に学ばんとする彼の為に祈った。