米国における労働が日本婦人に及ぼす影響は、
同じく善悪混合している。
どこでも同じである。
理由は、
米国人が自負心が強く、米国人全能を信じる。
からである。
何でも世界は、米国人でなければ、
夜も日も明けないと思っている人も少なくない。
その中に一人でいると、癪に障る事がたくさんある。
大切にされれば、子ども扱いにされたと思うし、
かまわれないとのけ者にされたのではないか。
と、ひがみたくなる。
何だか、対等に待遇されないような気がする。
したがって、
米国人なんてなんだ。
我が国は物質では遅れているが、精神的には進んでるぞ、
物質文明だって、今から50年たてば、
ずっと進んでくるから今に見ていろ。
などいう考えが起こる。
この心は、よく言えば、真の愛国心にもなるけれど、
悪く言えば、反抗的な人格を作り、
広い経験がかえって心を偏狭にさせる。
権利義務を主張するのは、かの国民の特徴である。
けれども、これがホームとか友誼とかいう思想と
よく混合されて和らかくなってるから
その弊害が割合に少なくない。
然るに、外国人の労働者はホームの慰安もなく、
友情より得る楽しみはなく、
ただ一圓に権利・義務の氷のような手の下を潜って行くのだから、
その影響は少なくない。
自然に非社会的になる。
十年ばかりかの地に働いている或る姉妹があった。
姉は病気の時に、妹は、
自ら労働して得たお金を姉の為に用いる義務はない。
とて、その救助を拒絶した。
と、言う話がある。