婦人について 米国における日本婦人の労働 その8 ************************************************** ************************************************** **************************************************

米国における労働が日本婦人に及ぼす影響は、

同じく善悪混合している。

どこでも同じである。

理由は、

米国人が自負心が強く、米国人全能を信じる。

からである。

何でも世界は、米国人でなければ、

夜も日も明けないと思っている人も少なくない。

その中に一人でいると、癪に障る事がたくさんある。

大切にされれば、子ども扱いにされたと思うし、

かまわれないとのけ者にされたのではないか。

と、ひがみたくなる。

何だか、対等に待遇されないような気がする。

したがって、

米国人なんてなんだ。

我が国は物質では遅れているが、精神的には進んでるぞ、

物質文明だって、今から50年たてば、

ずっと進んでくるから今に見ていろ。

などいう考えが起こる。

この心は、よく言えば、真の愛国心にもなるけれど、

悪く言えば、反抗的な人格を作り、

広い経験がかえって心を偏狭にさせる。

権利義務を主張するのは、かの国民の特徴である。

けれども、これがホームとか友誼とかいう思想と

よく混合されて和らかくなってるから

その弊害が割合に少なくない。

然るに、外国人の労働者はホームの慰安もなく、

友情より得る楽しみはなく、

ただ一圓に権利・義務の氷のような手の下を潜って行くのだから、

その影響は少なくない。

自然に非社会的になる。

十年ばかりかの地に働いている或る姉妹があった。

姉は病気の時に、妹は、

自ら労働して得たお金を姉の為に用いる義務はない。

とて、その救助を拒絶した。

と、言う話がある。