私が、コロンビア大学の寄宿舎にいる時、
ある年、クリスマスの一か月前頃、
掲示の舎内の一室において、日本品の販売をする。
と、いう広告が出ていた。
夜食後、行ってみると、
テーブルの周りに人が山をなしている。
一人の小さい日本婦人がてんてこまいをして売っている。
針刺し、名刺入れ、手拭・ハンカチーフが売られており、
多くはクリスマス・プレゼントの為に作った
華奢なものであった。
こうして一晩2時間ずつ、三晩販売を続けて、
総入高240弗であったという。
この婦人は元横浜の商人の娘である。
ミッション・スクールで教育を受けた。
それから、渡米してある女子大学を卒業した。
ところが、父親が貿易で破産したので、大いに憤激した。
そして、
自ら商業で家を起こそう。
と、思い立ったのだそうである。
普段は、家庭で働いたり、勉強をしている。
夏の初めになると、
横浜の知人から安く仕入れた日本雑貨をトランクに入れて、
サマースクール(夏期学校)や
避暑地のあるホテルを巡回して、販売をする。
こうして夏中働いて帰宅すると、直ぐにまた冬の仕度をする。
その時に流行する色などを研究して、販売品を選択し、
クリスマスの2か月間位、
諸学校の女生徒を相手に商売をする。
この婦人が事業を始めた頃の収入の金額は明らかでないが、
その年の冬は、
クリスマス前の1ヶ月間に350弗位の純益があったらしい。
以上、米国での日本婦人の仕事を紹介した。
米国における日本婦人の自活の道は、
今のところ大抵労働ばかりである。
職業生活は日本婦人にまだ開かれていない。
男子は、稀に大学の教授や助手・研究者などあるが、
女子でこんな地位を得ている人は一人もない。