婦人について 米国における日本婦人の労働 その5 ************************************************** ************************************************** **************************************************

私が、コロンビア大学の寄宿舎にいる時、

ある年、クリスマスの一か月前頃、

掲示の舎内の一室において、日本品の販売をする。

と、いう広告が出ていた。

夜食後、行ってみると、

テーブルの周りに人が山をなしている。

一人の小さい日本婦人がてんてこまいをして売っている。

針刺し、名刺入れ、手拭・ハンカチーフが売られており、

多くはクリスマス・プレゼントの為に作った

華奢なものであった。

こうして一晩2時間ずつ、三晩販売を続けて、

総入高240弗であったという。

この婦人は元横浜の商人の娘である。

ミッション・スクールで教育を受けた。

それから、渡米してある女子大学を卒業した。

ところが、父親が貿易で破産したので、大いに憤激した。

そして、

自ら商業で家を起こそう。

と、思い立ったのだそうである。

普段は、家庭で働いたり、勉強をしている。

夏の初めになると、

横浜の知人から安く仕入れた日本雑貨をトランクに入れて、

サマースクール(夏期学校)や

避暑地のあるホテルを巡回して、販売をする。

こうして夏中働いて帰宅すると、直ぐにまた冬の仕度をする。

その時に流行する色などを研究して、販売品を選択し、

クリスマスの2か月間位、

諸学校の女生徒を相手に商売をする。

この婦人が事業を始めた頃の収入の金額は明らかでないが、

その年の冬は、

クリスマス前の1ヶ月間に350弗位の純益があったらしい。

以上、米国での日本婦人の仕事を紹介した。

米国における日本婦人の自活の道は、

今のところ大抵労働ばかりである。

職業生活は日本婦人にまだ開かれていない。

男子は、稀に大学の教授や助手・研究者などあるが、

女子でこんな地位を得ている人は一人もない。