ベルを鳴らすと、中から戸を開けたのは、

真っ黒の衣装に雪白のキャップと、

前掛けをかけた18~19歳の女中であった。

丁寧に私共を導いて外套を取ったり、

髪をかき上げたりしてくれた。

案内せられて、食堂に入ると、

お待ちかねの主人アレキサンダー卿と令嬢とが、

大喜びで迎え、熱心に握手せられた。

主人は、米國のニュージーランドの田舎で見る農夫の様に、

双頬に髭を生やしておられた。

主人は私の手を取って自分の右にある席を与えられた。

席定まるや主人は椅子の後ろに佇立ちて、

いとも荘重な調子で食卓に祈祷を始められた。

祈祷なしに食事に就く家族は、英米ではまず珍ししい。

けれども、食卓の前に立ち、祈祷する人を見たのは、

これが始めてである。

最初に、オート・ミールが出た。

原口は亜米利加にいる時にいつもこれに多少の塩を加え、

然る後、砂糖と牛乳とをかけて食したので、

この朝も食塩をかけた。

これを見た主人は

私の家では、ミールを作る前に塩を沢山入れるから、

そんなに塩をかけてはとても食べれない。

と、言われた。

でも、原口は、

私は辛いのが好きで、

米國にいる時はいつもたくさんの塩をかけて食べました。

と言ふと、アレキサンダー卿は、

其れでもそんなに掛けては駄目だ。

と、言って、いかにも気軽にいきなり皿を取って、

どこかにあけてきてしまった。

令嬢は、これを見て笑ふ。

老人は、洒々落々で非常に愉快な方である。

オート・ミールの後、

英吉利当たりで食べるハドクというお魚が出た。

一対に英吉利人、蘇格蘭人は朝、大食する。

独逸人ほどではないが、米國人の中には、

朝は果物の他は焼麺麭と珈琲しか摂らない者が、随分いる。

ところが、英吉利や蘇格蘭ではお魚の他には肉類位を食する。

この朝もハムの焼いたのか何かがお魚の次に出たけれども、

よく覚えてはいない。

食後、家内中集めて祈祷会を開く。

跡取りの息子さんは盲腸炎にかかられたとかで、

下には見えない。

しかし、その代わり黒の衣服に白の前掛けをした女中が、

十人足らず、お台所の方から現れてきた。

そして、室を賑はした。

まづ、令嬢のオルガンに合わせて一同讃美歌を唄ひ、

次に主人より始めて聖書を代わる代わる読んだ。

女中の方が吾々よりは余程流ちょうに読んだ。

其れにはちょっと恥ずかしく感じた。

それから一同跪くと、主人は家族を代表して祈祷を捧げられた。

そのうちに、

極東から来た此の若い男女の上に祝福あらんことを

と、言う言葉があったことを記憶する。

卿は有名な医家で数年前迄は、

エディンバラ医科大学の学長であった。

だが、世界各國に伝道旅行をなし、

処々方々の人と交際しておられるから、

親しみやすくお話も面白かった。

令嬢もまた、関係上大勢の人と交わつているから

社交に慣れている。

だから、言語操作も軽く、不自然不調和な所がなく、

話している者をして

永い間の知己ででもあるがごとくに感じせしめた。

食後、アレキサンダー卿は、私共を導いて、

客室その他いろいろなお部屋を見せて下さった。

書生は、かなり大きなもので、

そこには先代アレキサンダー卿の著書等が飾られていた。

主人は、特に荷厄介にならずして記念になるような書物を、

二から三点私共に分ち与えられた。