船は静かにリバプールの港に入って行く。

テニスンのイノック・アーデンという散文詩は、

イギリスの東海岸を移したものであるそうだが、

西海岸なるリバプールも余程それに似ている。

波打ち際の所は、浅く広く、潮が干いた時などは、

全く子供の遊び場として適している。

こんな事を思っているうちに、船は埠頭に着いた。

私はH氏と別れて、

倫敦から日本郵船で帰る事になっていたので、

出発の期日を聞いておく必要もあるし、

その他2~3の弁じておきたい用事もあった。

だから、税関の検査が済むと

かねて聞いていたリパプールの

日本名誉領事H氏(英人)に電話を掛けた。

領事からは、すぐに来いとの返事があった。

なので、大きな荷物はみな倫敦へ送り、

差し当たり必要な品物だけ持って、領事館に行った。

ゆくゆく辺りを見回すと、家は低く、街幅は狭く、

ニューヨーク辺りを見た私共には、

全然暗い田舎町に来たような気がした。

紐育では、下町へ行くと、

10階より下の建物は珍しい位であるのに、

ここには5~6階以上の建物はあまり見当たらない。

それに驚くのは、乞食の多い事である。

左からも右からも

~下さい。~下さい。

と、言って攻めかけてくる。

なぜ、この人達は米国へ行かないのだろう。

行けば、必ず、仕事があるのに・・・・

でも無銭では行かれませんもの。

私達の間には、こんな会話が交わされた。