私等は食卓に白髪の老紳士があった。
この人は船中の奇人で、食事中に手真似をしては話をするが、
その話し方がいかにも議事堂式で、
話に油が乗ってくるとナイフを持った手を上に差し上げ、
フォークを前に突き出して、
口と一緒にしきりに体を動かすのである。
その人の話が始まると、
我々は申し合わせたように黙ってしまう。
これは、感心するからではなくて、
話をする余地を与えてくれぬからである。
次は、この雄弁紳士の令夫人であるが、
これも夫に負けぬ弁者であった。
このそばに座っているこの夫婦の令嬢は、
両親とは大分違い、沈黙主義の人であった。
だが、朝から晩迄、お化粧に憂身(うきみ)をやつし、
三度の食事は抜きにしても、立派な着物を着たい。
と、いう様な人で、遊戯(ゲーム)等には全然関係しない。
だが、洗面所の大きな姿見には、
始終此の人の立ち姿が移っていた。
このような人等と、いろいろ楽しい日を送る事8日にして、
船は、一先ず愛蘭(アイルランド)の南にある
クインス・タウンに着いた。
港の入り口の景色は、
私共欧羅巴の砲台を見た事のなかった者にとっては、
一種のインスピレーションであった。
青々とした黒ずんだ砦、
ここから中へは一足も入れないぞ。
と、いった様な調子で高く立っている旗竿(はたざお)、
山の麗らかにぶつかって、玉と砕ける大波、
荘厳なる感じが、陸地を見る喜びと混じって、
言うに言われぬ感慨を与えた。
愛蘭三等客船の大部分を占めていた愛蘭人は、
皆クィーンスタウンで下りた。
船の上における彼らの生活は、一方から見ると可哀想で、
また一方から見ると楽しそうであった。
汚い風をしていかにも楽しそうに、
誰とでも手を取り合ってダンスをする。
ご飯や就床の時は、石油缶のようなものを叩いて追い込まれる。
一同うち揃って、いかにも愉快そうに行列を作って、穴の様な入り口から薄暗い臭い部屋に潜り込む。
彼らが、
自分らの境遇をみじめだ。
と、思う力がないだけ、それだけ外から見ると可哀想である。
滑稽やポンチ絵に出ている愛蘭人は、みんなこんな者であるが、私は、この時始めてその実例を目撃したのである。