原口が、まだ米国にゐる頃、
彼の学校に一人の英吉利人が舞い込んだ。
其の名をジャック・ホイランドといふ。
日本にいると
英国は、米国とは大層仲がよさそうなものである。
と、考えられる。
併し、事実は決してさうでない。
成程、米国人で言語人種が同じであると言ふ点から、
英国人を慕ふ者もあるにはある。
併し、米国は、一般に自分の国が一番偉いように思っているから、
他所の国の人を余り有難がらない。
私は、米国に亘って、
米国にいる英人が割合に冷遇せられているのを見た。
そして、奇異の間に打たれた。
米国の男性の学生等の評判を聞くと、
英国の青年は、余りに真面目過ぎる。
だから、精神にゆとりがなく平均が取れていない。
何となく女々しく子供らしい。
滑稽を滑稽と解する力がなく、
怒るべからざる時に怒り、
真面目にならざる時に真面目になる。
と、いう事である。
ところが、此のジャックといふ英吉利人は、
米国人にしては、珍しく滑稽が分かる。
米国の学生に負けない位に暴れる。
だから、大いに米国学生の間で、もてはやされた。
けれども、ジャックの素性を知っている者は、
ジャックを紹介して学校にゐれた校長(蘇格蘭人)の他、
誰も知らなかった。
ただ、ケムブリッヂの卒業生だという事だけは、
わかっていた。
いつも流行に後れた風変わりの洋服を着ていた。
六尺余りの体をのそりのそりと、歩いていた。
併し、運動する時と人にいたずらする時は、
頗る(すこぶる)機敏であった。
ジャックは、いつか友達の学生の自転車を借用して、
下町に行った。
市長の近所にある人通りの頻繁な道の交差点に来ると、
ジャックさんは、巡査さんに捕らえられた。
どういう訳かわからないが、米国では、
自転車は、道路の右側を通行しなければならない。
けれど、ジャックさんは、
英国流に左を通っていたからであった。
巡査は、
何故、お前は人ごみの中で道の左を乗り回すのか。
と、詰問した。
ジャックさんは、
道は左を歩く事と子供の時から教えられている。
だから、巡査の云う事が一行要領を得ない。
それで、巡査のすきを窺って、
手早く自転車に乗り、一目散に逃げ出した。
巡査は烈火の如く怒って、ジャックさんを追跡した。
併し、ジャックは自転車、巡査は徒歩である。
だから、巡査は到底叶わない。
仕方がないから巡査は、
そこへ逃げてゆく奴は、重要犯人だから誰か捕まえて!
と叫んだ。
それで、通行人がジャックの前に立ちふさがった。
ジャックさんは、再び警官に捕らえられた。
かわいそうである。
警官はあへぎながらジャックさんの姓名と職業とを尋ねた。
ジャックさんが、
これこれの所におります。
と、言ふと、巡査は職人か何かだらうと思っていた。
しかし、ちゃんとした学校の学生であったので、
そのまま帰宅を許した。
後で、警察署から学校に電話が掛かってきて、
ジャック・ホイランドという学生に説諭するように。
と、頼んできた。
何しろ特色のある学生であるので、
私共はジャックさんがどんな人だろうか知りたいものだ。
と、思ってゐた。