翌朝、ここの宗教学校の講義に出席した。
午後、雨が降ったので、
かねて計画していた遠足は中止になった。
そして、男子のみ自転車旅行に出かけた。
自分は、静かに部屋に残って、
手紙を書いたり、詩など読んだりした。
翌日曜の朝、生まれて初めてクェーカー宗の教会に出席した。
この教会には、
地方の金満家がいるそうだが、誠に質素なものである。
11時になると、堂中はひっそりとしてしまった。
10分経ち、20分経ったが、誰も話をしない。
時計の刻む音ばかり聞こえている。
11時30分になって、一人の夫人が
お祈りをしませう。
と、云い、膝まづいた。
皆それに倣って、静かに膝まづいた。
そして、深い重みなる声で、心から出た
簡単な飾り気のない祈りを捧げた。
それが済むと、一人の百姓じみた男性が、
急に立ち、一週間の精神的経験を述べた。
訥弁ではあったが、熱心な態度は人を動かした。
私は、説教や音楽で華やかな米国の教会に慣れていた。
だが、この静かなるそして飾りのない教会の空気に、
一層深く感ぜざるを得なかった。