総領の令嬢は、大学を卒業したばかりであった。

だから、一種のカレッヂ気質を持ってゐて、快活に会談した。

学問上・社会上の問題についてずんずん意見を述べる。

妹は、まだ女学生の生徒だが姉に負けず劣らず話をする。

英国では、常時女子参政権運動が盛んであるから、

どこへ行ってもこの話ばかり。

ここでは、婦人も令嬢も皆、

この運動に熱心で、盛んにその効果を述べた。

主人は笑い乍ら頭を撫でていた。

食事が済むと、再び下の応接間に行き、

主人と夫人は身の上話を始めた。

なぜなら、

私共が米国で一緒になって、新婚旅行の途中にある。

と、いう事が分かったからである。

主人は嘗て、十年足らず

東京帝国大に教鞭を取ってゐられた。

地震学の泰斗大森博士・無線電線の木村俊吉などは、

ノット教諭の下で学ばれた。

とかと、いふ話である。

してみると先生は、余程のお年でなければならない。

しかし、見たところは52~53歳ぐらいにしか見えない。

今の婦人は、教授が東京大学にゐられ時に、

見初めれ貰われたさうである。

夫人の兄は、宣教師として日本に来ておられた。

教授と夫人は、どちらも蘇格蘭の人で、

しかも同じ町に生まれたのであった。

併し、本国ではちっとも知らなかった。

しかし、結ぶの神は二人を遠い遠い極東の都に導いて、

二世の契りを結ばせたとの事である。

夫妻は、

総領娘は日本で生まれたから髪の毛が黒いのだらう。

と笑いながら話された。

主人は、

やりっぱなしのような人であるけれども、

あまり口を利く。

と言ふ風ではなかった。

併し、夫人と長女とは滝の落つるが如く語った。

是は、蘇格蘭に於いて、

稀有の事件として忘るるべからす事柄である。

蘇格蘭の人は一般に寡言沈黙であって、

人と会っても初めから大した話はしないのである。

私共がノット教授の家を辞したのは夜九時頃であった。

しかし、北国の事であるからまだ明るい。

私は、翌日、蘇格蘭湖水地方の美景を賞するために、

エディンバラを去った。

私は、ノット氏を始め、諸教授方の御親切によって

この高雅なる蘇格蘭首府の生活を、

見る事の出来たのを非常の歓びとする。

エディンバラで会った人は皆、

蘇格蘭の高地(ハイランド)を見なければ、

蘇格蘭に来てを何も見ないで帰るも同じである。

と、云われたので、間もなく高地見物に出て行った。