最も著しい米国婦人の特性は、
次に挙げんとする彼らの積極的精神である。
これは、「米国婦人の身の特性」というよりは、
むしろ「欧米人全体の特色」と言った方が、
あたってるかもしれない。
彼らは、学術においても技芸においても、
研究に研究を重ねて、また飽く事を知らない。
その精神は、蓄財事業の方面に於いて、
もっともよく表れている。
日本では生活の道が立ち、暮らしが豊かになれば、
威張り出したりなどして、妻は夫を鼓舞し、向上せしめて、
それ以上に道を開くという事を、
させる事が西洋婦人の如くでない。
米国婦人など夫に、
百万や二百万の財産ができたって、容易に満足しない。
もっとおやりなさい。もっとおやりなさい。
と、言う風にする。
彼らは、世間でよく言うように、
得意の時代に失敗するようなことが少ない。
米国が富を擁して、今日世界に雄飛しているのは、
この積極的精神に基づいてはいやしないかと、
思われる。
しかし、それと同時に米国婦人は、
「貧苦の境遇に耐える」という消極的精神に、
乏しいように見える。
例えば、日本婦人は、
貧苦を忍び喜んで夫を助けると、いう美徳があるに反し、
向こうでは、
夫が職を失ったり財産を無くしたりすると
嫌になって、離婚を申し込んだり、
別居を申し込んだりする婦人が少なくないようである。
一得あれば一失あり
何れをよしという事は、勿論できない。
二つながら兼ね備えていれば、
それに越したことはないと、思われる。
最後に、述べたいと思う米国人の特性は、
物事を、滑稽に見る風潮である。
軽く取らんとする傾向が、ある事である。
個人間の交際においても、
向こうの生活は、実に滑稽・趣味に富んでいる。
それで知らず知らずの間に、
生活上起ってくる苦しい事・不愉快な事を、
忘れてしまうようにする。
米国婦人のこの特性は、向こうに行かないでも、
向こうの人の書いたものなどを読み、
話など聞く人の直ちに認める所である。
この特性は、ややもすれば、人を浅はかにする恐れがある。
物をまともに見るの力を失わしめる恐れがある。
次に、私は、
米国婦人の家庭及び社会における位置について、
少しく述べようと思ふ。
「亜米利加の女性」の、家庭における位置は、
運によって定まるのでなくて、自分で作って行くのである。
即ち、婦人は、結婚前に己の作らんとする家庭を意識し、
その理想を実施しやすい夫を選ばんと、心がける。
宗教に、興味を持てる婦人は、牧師神学生などと交際し、
学術教育に興味を持てる者は、学者仲間に出入りし、
お金持ちが好きな人は商人に交わりを求むると、
いう具合にする。
そうしたからといって、
お金が好きな婦人が金持ちと結婚するとは限らないが、
まず、だいたいがそういうことになっている。
それで、結婚後、
不満足な場合が少ないはずであるのに関わらず、
離婚の数が多いのについては、いろいろ複雑なる事情がある。
米国に男子は、遊ぶ時には、働く時には、
到底外国人の想像する事のできぬほど激烈に働く。
紐育の如き大都市で、
商売をしていて、田舎に家を持って居る商人などは、
朝早く家を出て、夜遅く帰るので、
日曜日にしか子供の顔を見ないくらいである。
英国の婦人を言わしむれば、
米国家庭の主人は、一家団欒の楽しみを知らない。
家庭を支持する為に汲々として働く一種の奴隷である。