したがって、

品性の点においては、

今日、ヨーロッパから陸続きやって来る移民などに比して

遥かに勝っている。

現今、欧州から米国に移住する移民の多くは、

お金をこしらえるという事の他に目的を持たない。

それで、

一攫千金という目的のためには、

手段を選ばない。

と、いったような人が少なくない。

こんな人は、少し境遇がよくなると

急に威張り出したりなどする。

米国婦人の名を汚すような人の多くは、

このごとき人の家から生まれ出でるのである。

しかし、

こんな夫人は、いわば米国婦人中の屑であって、

これらを、目して「代表的米国婦人」と、

みなすのは本当ではない。

それで、私は善良なる家庭を造り、

多少にかかわらず、

社会にかかわらず、

社会に感化力を有する米国婦人について

その一班を述べてみようと思う。

第一に、

私が述べようと思う米国婦人の特性は、

彼らが自重心・独立心に富んでいる事である。

私が米国にいる時に、

ある教会の牧師が、

日本婦人が米国に来て、学びえる最大の感化はなんであるか。

と、問うた。

牧師は、私が

クリスチャンホームの感化である。

と、答えるであろうと思ったらしい。

しかし、私は、

米国婦人が、我らに与える最も大なる教訓は、

彼らが自分の価値を意識し、

相分の運命は自分で開拓し、

みだりに他人の指図命令を許さないこと、

一口に言うと、同霊的盲従的でない。

と、いう事である。

話した。

それは、

この独立自主の気風は女子のみの特色でない。

米国人一般にその気性に富んでいる。

彼らの信じている親や兄弟や親類や財産は

人間の最後の頼みにはならない。

病気になったり、

倒産したりしてしまえば、それきりのものである。

それで、いつでも頼みになるものは、

世渡りする常人である。

常人が、しっかりしていりさえすれば、

父兄が、病気になろうと

親類がなろうと一向に困る事はない。

ゆえに、

常人をして独立することが

出来るようにすることが最も肝要である。

完全な社会、強い国家というものは、

要するに、

かかる強い個人をたくさんに持っているものであると。

かくのごとき、見地からして

子供など教育するにしても

小さい時から独立してやれるようにする。

いわゆる成金ではなく

昔からちゃんとしている富豪の家庭などで

子供に労働などさせて育てている者のある事は、

人の知るところで、

くだくだしくここで述べる必要はない。

と、思う。

右の如き、米国婦人の自主独立の精神は、

第一に趣味の上に現れている。

一例を挙げれば、

東洋では縁組をするのに、

物でもやり取りする如くに、

第三者が主になって婿や嫁のやり取りをする。

しかし、米国においてはそんなことはない。