「亜米利加の女」と、言われた時に、
一般世人の心に浮かんでくるピクチュアは、
角ばった顔の女性、肩のいかった女性、
高調子でお話する女性、
どこへでもでしゃばる女性、思想の浅はかな女性、
お世辞ばかりよくって実のない女性、夫も尻に敷く女性、
産んだ子供は皆乳母に預けて、
「ソサイテー」を読んで回る女性であろう。
私も、かの国に行く前には、
大抵右と同じ様な想像をしていた。
多くの人の中には、
向こうへ行くなら学問だけしていらっしゃい。
向こうの人のまねをしてはいけません。
と、忠告した人もあった。
で、向こうへ行ってからは、随分米国婦人との交際に注意し、
いつも、批判的に向こうの婦人を見ていた。
しかし、年月を経るに従って、
想像は、事実によって次第に打ち殺されてしまった。
多分運がよかったのであろう。
私は、日本を出てから帰る迄、
悪い婦人には、あまり巡り合わなかった。
日本を出てからカナダのモントリオール迄は、
イギリスの婦人と一緒であったが、
これから紐育までは、一人で旅をせねばならなかった。
この間において、親切に世話してくれたのは、
亜米利加の婦人であった。
紐育のステーションに迎えに来てくれた後、
数年、陰になり日向になり、
念の入った世話を焼いてくれたのも
亜米利加の女性であった。
亜米利加の婦人は決してはじめに考えていたような
軽薄で横柄で不親切!
ではない。
それどころか、世間稀に見るような崇高な人格が、
かの国の婦人界には少なくない。
私は、次に、「私のみた米国婦人」と、いうものを、
できるだけ簡単に書き出して見たいと思う。
亜米利加の女性の中にも種類がまことに多いので、
どれが代表的米国婦人というとは困難である。
実は、亜米利加ほど婦人の種類に富める国はない。
外貌の点から言うと、
スカンデネビア及び北方・独逸などより来た移住民の子孫は、
色が白く、眼玉が青く、髪の色は黄色い。
そして骨格など日本人等に比してずっと逞しい。
これ、
反之南欧諸国例令(にほんしなんおうしょこくたとえ)は、
伊太利亜などから来た移住民は、
皮膚はオリーブ色で骨格など日本人に比し、
さほど大きくない。
目玉や髪の毛の黒い所なども日本人に似ている。
顔の輪郭なども北欧諸国民のそれに比して角が少ない。
いわゆる亜米利加の女性の中には、
これら欧州人の子孫の身ではなく、
黒ん坊もいれがば、猶太人(ユダヤ)もいる。
外観が違ってるが、
如くに人々の心もまた千差万別である。
5年10年と亜米利加にいて、財産や地位が出来て、
亜米利加人なりに交際ができるにしても、
瑞典(スウェーデン)人は、瑞典(スウェーデン)人、
アイルランド人は、アイルランド人、
イタリア人は、イタリア人である。
もちろん二代三代といれば、
いわゆる亜米利加化するけれども、
それで、数百年数千年の間に養い切った
国民的性格は容易に変化する者ではない。
例えば、
品性の点からみても昔の移民と今日の移民とは、
おおいにその線を異にしている。
建国の始めに英国から来て、
マサチュセッツ、コンネチカット等東部諸州に上陸した人は、
主義の衝突から本国にいたたまらず来た人で、
何等か一種の思想を抱いていたのである。