学校の寄宿舎で、
既に許されているものだからとは思いましたが、
それでも宣教師の言葉を思い出しては、
そこへ足を入れるのを怖いと事にして、
友達に誘われても、
何か用事をこしらえては、それを断って、
一人で勉強の方にのみ偏していたものです。
しかし、段々世間一般の生活を見ても、
舞踏というものを、そう悪い事にはしていないのみならず、
交際上必要なものとして、
学校でも家庭でもこれを許し、生徒も公然、
これを習ったりやったりすることが出来るのです。
もっともこれに対する監督は、厳重なもので、
学校でも、
女生徒の中に知り合いの男子が来て舞踏するのですから、
その時は、寄宿舎長が、ちゃんと控えて監督します。
また、25歳以下の人が舞踏するに、
男女の間隔を何インチ以上にせねばならぬよう
規定も設けられて、
監督者は、いちいちインストラクションを与えます。
もとより
こんな外形的の監督法が何の力になろう。
とも思えませんが、
ただ羨ましいのは、一般に自己の品格を保つという事に、
立派な自覚を持っていて、
私共が悪戯に杞憂するような間違いは決して起らぬ。
と、いう事であります。
それは、束縛するから、かえって悪いの、
自由に解放してあるからかえって良いの
と、いう問題ではなく、銘々の自覚が自分を守らしめ、
また、弱い婦人も、
ひとたび誤てば自分の修正の独立を破壊してしまう。
と、いう事をよく知っていて、
お互いに自己を尊重し、
人を尊重する道を知っているからであると思います。
日本の今日の女学校の教育なども、
いたずらに拘束を加えたり、
突飛な解放論にびっくりして反対したりする前に、
まず夫人の自覚というものを、
本当に呼び覚ましてもらいもの
と、思います。