ところが、この人が
有名な声楽家(シンガー)である。
と聞いて、私は、少なからず驚きました。
なるほど、そう聞いてみれば、
純学問専攻の人とどこか違ったところがある。
学者風に落ち着いて、
じっくりと勉強する風の質の人とは、
見えぬところがある。
教場などでも時々妙な質問を発して、
先生を困らせる事があるのです。
また、先生の手真似手振りを巧みにまねて見せたり、
その後姿を評して、
人のおなかを抱えさせたりするのです。
そして、容姿は大変若く作ってはいるが、
どうしても35歳を下らぬ人とみえます。
学問の方は、
いずれかというと、まずできない方ではありましたが、
この勝気な所は、不得手な事にも
十分の忍耐を持たしめる事が出来たのであります。
ただ、私はこの有名なシンガーが、
なぜ大学に入学してきて、
しかも心理学などを納めるのか。
と、それを不思議にしていたのでありますが、
よく聞いてみると、
この人は音楽の研究を目的としてきたのであります。
そして、
音の原理を研究するに至って、
どうしても、
心理学を研究せねば了解のできないものがある。
と、気づいて、シンガーの身をもって
こういう方角違いの学問を修めるのである。
という事が分かったのであります。
私は、初めのうちは、口もききませんでしたが、
大変さばけた気質で親しみやすく
そのうち先生から話かけられて、
ごく親しい友人となる事が出来ました。
殊にシンガーであるという事は、
私に一種の好奇心をも衝動せしめて、
そういう階段にいる人を、
研究する考えをも、もたしめたのであります。