寄宿生活で楽しかった事の一つは、
好く知り合った同士が、
互いに笑い興じながら食事をした事である。
食事の時間は、
朝は7~8時半迄、昼は12時~2時迄、夜は6時~7時迄、
食物は校医の監督が厳重だから、
滋養に缺欠するようなことはない。
朝は、第一が果物、
次に出るのがシリアル(オートミールの種類)、
一番終わりにカフェー、焼き飯及び肉類が出る。
昼飯は、第一にスープ、第二に肉、或いは魚
(どちらでも好みに応じている)が、
ただ違うのは、一層手のかかった料理が出る事と、
デザートとして週に三度、アイスクリームが付く事である。
一つのテーブルに8人ずつ座り、
黒服に白のエプロンを付けた給仕が一人ずつ付く。
いやでも応でも、日に三度はいかねばならぬのだから、
食卓ばかりは楽しくないと、辛抱ができないが、
幸い、私のテーブルには良い人ばかりいたので、
食事はいつも楽しかった。
生まれた所も学んでいる学科も、
各々随分違っていながらもよく同情が通い、
平和に親密な交際を結んでいるのには、実に感心する。
私の向こうに、
純文学専攻で詩や歌ばかりひねくっている人と、
家政科で、毎日料理ばかりしている人と並んでいたが、
お互いに良く調子を合わせていた。
一人がブラウニングやテニスを講釈し始めると、
もう一人は、喜んで聞いている。
その代わりご飯の焼き方やお芋のゆで方の説明が出た時に、
相手は、物質的だと顔をしかめるようなことはしない。
日曜日には、必ず二回ずつ教会に行き、
バイブルを文字通りに信じている
オーソドックスの信者の側に、
ハックスレ―崇拝者が座っていた。
時々、自由意志問題で、
衝突が起こるようだけれど、
平常は、いつも楽しそうに語っている。
自分の意見を強く保持しながら、よく人を容れ、
社交には、あまり議論めいたことを
したがらないのが米国人の通性らしい。
毎日、顔を合わせているのに、
話しても話しても話の材料の尽きないのには驚く。
日本で、女子大学の寮舎にいた時には、
食堂が寂しくて仕方がなく、
どうしたら話が出るだろう。
と、真面目に心配したことがあったが、
ここでは反対で、
どうしたら少し黙っていてくれるだろう。
と、心配するほどである。
もちろん、米国婦人は、日本婦人より発表的ではあるが、
話の弾む原因は、早急趣味の多方面な事と、
見聞の非常に広い所にあるらしい。
政治・教育・社会問題・芝居見世物、
何でもかんでも話題になり、
しかも、各々言うところをどっさり持っている。
初め、私は、新聞も読まず、国の事情も知らないから、
話の相手をする事ができず、
引き込みがちになっていたが、
社交的な米国婦人は、
いつまでも私をそのままにはしておかなかった。
日本の事・私の専門の学問についていろいろ
私が知っている
と、思うような事を持ち出しては話しかけるので、
自然引き入れられて、
15日ばかり経ったら口調もハキハキ聞き、
もう私は別物だ。
と、いうような感じがちっともなくなった。