日曜の午後、私は言われたように、

小豆色の派手な裾模様の付いたちりめんの晴れ着に、

黒地に錦糸の浮織のしてある帯をしめて、一階に行った。

他の人は皆揃って、私を待っていた。

其の人達のいでたちは、実に奇々妙々で、

試みにその中の一人の服装を言ってみると、

この人のいわゆる日本服というのは、

赤・青・黄色のこてこてした色の大型模様の付いた

安っぽい木綿ちりめんで、できていて、

スタイルは、

西洋・支那・日本服の「あいのこ」のようなものである。

短い広袖が、どてらのように、

開きも何もなく身頃に付いていて、

襟の回りと首の周りに変わった色の縁(へり)がとってあり、

背筋の中央から下にマチのようなものが入っていて、

お尻の所にひだができている。

この妙ちきりんな日本服を、

着ようもあろうに左前に合わせて、

その上に三尺のような物を猫じゃらしに結んで、

これを「ジャパニーズ帯」だと、呼んでいる。

こんな下人で嫌なテーストの物を、

わが国固有の服だ。

と称するさえ癪に触るのに、

その髪の装飾を見ては実に驚いてしまう。

入れ毛を一杯入れて不相応に前髪を出し、

高い前髪の上になほ高くそびえている髷の両側に、

大きな桃色の桜花がさしてある。

最もおかしいのは、

小さい派手な扇子の開いたのが、

髱の所に結びつけられてある。

これは、まだ、我慢をしたが、

日本婦人の歩き方だ.。

というて、足を内輪にし、腰をかがめて、

チョコチョコ歩き出した時には、

全く堪忍がならなかった。

7人が7人とも色合いや柄などこそ変わってるけれど、

皆、これに合った風にしていた。

寮生はそろそろ来客を連れて、茶室に入って来て、

まず部屋の装飾を非常に誉め、次に我々の服装が

美術的(アーチスティック)だ。

と言って、口を揃えて称賛した。

やはりその国の人に、見てもらわなければ、

こんな美しい着物を得る事できません。

などと言って、化け物服の効能を述べたのは、

おかしくもまた有難迷惑でもあった。

人々は、お互いに自分の友達を紹介し、

それぞれ知己を広めていき、一時間位で、集まった人は、

皆すでによく知り合た様に、打ち解けて話している。

私の所へみんなが友達を連れて話しに来た。

そして、

日本人は、支那人と同人種だというけれど、

支那人より見た所も心持ちもずっと勝ってる

などと、私の耳を喜ばせるような事ばかり

どっさり言って聞かせる。

私は、はじめみなこれがお世辞に過ぎないと思ったが、

のちになって、そうではないことが分かった。

実際良い方面ばかりを見、

良い方面ばかりを口外するのが米国人の習慣である。

五時頃、段々人が帰り始めて、

6時頃全く茶室は空っぽになる。

しかし、中央の大広間や応接間には、

まだ楽しそうに語らっている男女の組がどっさりある。