朝ご飯の鐘が鳴るとともに、
天幕仲間のエーバリンは、私を食堂に連れて行った。
食堂と言うと大したものの様であるが、
実は丸木の柱に天幕を掛け、
わずかに雨をしのぐというに過ぎなかった。
その代わり見晴らしは好い。
粗末な床の上には、形ばかりの食卓が十台ばかり並んでいる。
百人位の人が座る事できよう。
私は、主人クリスティー夫人のそばに座を得た。
食物も住居に負けず粗末であるが、
ただ気持ちよいのは、牛乳やバターが新鮮である事と、
炒めご飯が最も味よくできているとである。
朝ご飯がすむと、
各々テントに帰って床を片付け、テントの中を掃除する。
十時頃に鐘が鳴る。
これは聖書の講義が始まることを知らすので、
講義に出たい人は出掛ける。
この家の主人が、おもにその組を教えるが、
時々は、名のある人をその為に招くのであるようだ。
昼ご飯が12時から1時迄、午後は、何もない。
各々、本を持ったり、編み物をしたりして、
森の中に分け入り、好きな場所を選んで、
新鮮な空気と美しい鳥の音とを楽しむ。
夜のご飯は6時で、食後、暗くなる迄玉投げをしたり、
鬼ごっこをしたり、テニスをしたりなどして遊ぶ。
この遊びの指導者は、
夕べ、自分を迎えに来たウェルズレーの学生
マージュリー・ホイトであった。
彼は、外国人に似合わず、丈の低い人で、
日に焼けたせいか色は、どっちかというと黒い。
とりわけて美しいという人ではないが、可愛い人である。
年輩と言い、丈の高さが言い、色つやと言い、
私と同じであるから、
2~3日はたつと、この人と私とは、大の親友になった。
夜は8時から祈祷会が始まる。
これには、病気ではない以上、
誰でも必ず出席する事なっている。
夜の祈祷会は、米国では、
宗教に熱心な人の指導している団体には、
必ずつきものである。
だから、ここにこれを描くのは、無益ではあるまい。
城の下の広間が会場に当ててあるが、
人数の割には狭いので、階子段までが一杯に詰まっていて、
身動きもできないほどである。
真ん中に皆と一緒に、
クリスティー夫人がニコニコしながら座っている。
しばらくして夫人が
今夜は何番を歌いましょう。
と、聞く。
何番
と、誰かが答えると、
皆持ってる讃美歌の本を開けて、ピアノと一緒に歌い出す。
2~3曲歌い終わると、聖書の朗読があり、
次に、また、讃美歌があり、
最後に集まっている人々の一日の感話がある。
年の若い婦人が多いけれど、
割合にまじめな考えを持っているのに感心した。
キャムブの一日はまずこんな風にして暮らされるので、
やや短調子であるが、これを破る為には、
時々、馬車見物をなし、
土曜日毎に、
キャムプ・ファイヤー(かがり火)というものを行う。