口頭試験が済んでから卒業式まで6週間、
何にもすることがない。
卒業式が済むと直ぐ帰国することになってゐた。
なので、私は、
此の六週間を最も有益に過ごす為、
以前から考えていた
コーネル・ハーバードの心理実験室を見に行こう。
と、決心した。
此の計画は、ただ研究学旅行としてのみならず、
試験の為疲れ切っている私自身を回復させる事ととしても、
大いに価値のあるものであった。
私は、青ざめたる顔とこけたる頬とをもって、紐育を出たが、
帰って来た時は丸々と太っていた。
ラッカワナ鉄道と云う随分危なつかしい線路に依って、
先ずコーネル大学のあるイサカという村に向かった。
沿道の風光に目を慰められながら行く事5~6時間程で、
イサカの停車場に達した。
ここで、イサカ行きを知らしておいたNさんと云う
日本人の学生と待ち合わせていた。
Nさんに導かれて私は、
セーヂ・カレッヂと云う女学生に寄宿に向かった。
そして、M嬢という医科の学生と同室する事になった。
M嬢は、太っちょの格好の悪い赤毛の夫人である。
物ぐさで、部屋を掃除する事が大嫌いであった。
私は、初めて部屋に入った時、
豚と同居しているのかと思った。
此の人は容姿の悪いに似あわず、
情熱的(アモラス)で一人の青年を恋していた。
そして、朝から晩まで暇さへあれば、鏡台の前に立ち、
お化粧に浮き身を窶していた。
お化粧が済むと、待つ人が来ぬはせぬかと思い、
廊下を行ったり来たりしていた。
コーネル大学には、
有名なる実験心理学者・ティッチナー氏がみえる。
彼は、20年一日の如くに、
自分の専門の開拓に熱中している。
その結果、米国だけでなく、
欧羅巴ででさへ見る事のできぬ立派な心理研究場を拵えた。
ある欧羅巴の心理学者は、
ティッチナー教授の子の実験室を見た。
そして、
宮殿(パラスト)のようだ。
という感想を話したそうである。
コーネルにはこの他に、実験教育学の研究場がある。
これも米国に於いて最も有名なるものである。
私は、コーネル大学では、
昼の半分は実験教育学の研究場に、
残りは実験心理の研究所に時を費やした。
そして夜は、教授や日本の学生諸氏と遊んで、時を過ごした。
時々は特殊研究(ゼミナール)に参加した。
此のゼミナールは、コロムビアとはとても異なっている。
夜九時頃始まる事は、相違の最も甚だしき事である。
その頃になると教授の中には、
奥様御同伴でお出でになる方もある。
順番に当たった学生が、
自分の日頃の研究し実験した所を朗読し説明する。
すると、今度はこれに関する討論が始まる。
それが終わると、一同に、
茶菓子アイスクリーム等の饗応
(きょうおう・もてなしということ)がある。
この頃になると、学生・教授打ち交わり打ち解けて、
世間話をしたり、あるいは学問上の話をする。
そして12時過ぎ一時頃散会というのである。
ティッヂナー婦人は、この晩の主人役たるが如くに思われた。
先生は今は大学に講義してはいない。
だが、このゼミナールだけには、出席せらるる様である。
見目は、コロムビアの心理研究料の
専任教授キャテル氏等よりは、遥かに円満である。
一体キャテルといふ先生は、一風違っている先生である。
リップ・バン・ウィキンクルの様に、
大学から汽車で5~6時間もかかるキャツキルの山奥に、
家族とともに住んでおられる。
先生には一人の息子と二人の娘がいます。
が、小学校にも中学校にも出さないで、
家で教育しておられる。
姉君の方は私が紐育を去る頃、コロムビア大学に入学し、
大変成績が良いという話である。
十人十色で、いずれティッチナー教授には、
いくらか変わった所があるだろう。
けれど、キャテル教授のように、
変わっている人の様にも見えなかった。
先生は、
日本人が好き。
であるとかで、私も一度晩餐に呼ばれた。
家には、一人の息子と二人の娘がいる。
そして、女中なしに一家睦まじく暮らしておられる。
田舎の一寒村にある大学の事とて、
自然の趣味に富んでいる事、
コーネルのような大学は、
亜米利加広しといえどもあまり多くはあるまい。
折り合い悪く、私がコーネルにいた時には雨が降り続いた。
だが、私は降りやむごとに散歩をした。
瀑布あり、湖水あり、森林あり、
高山あり、青々した野原あり。
と、いう有様である。
郊外散歩は非常に楽しかった。
日本人のN氏等は、度々私を散歩に誘ってくれた。
私がコーネル大学についた。
それから、そこにいた日本学生の人々が、
私を呼んでくれました。
呼ばれた先は、
K子爵やNさんが寄寓していたG氏という宣教師の家である。
私共が参りました時には、
G氏の家族はお留守の様に見えました。
客室に一休みすると直ちに食堂に案内された。
ここで、茶菓の饗応があり、
その間に私に、
何をご馳走しようか。
と、いう相談がありました。
そして、日本食をふるまうという事に話が纏まりました。
すると、K子爵は自らシャツを捲り上げ、
自らお台所に行き、コメを研ぎ、ご飯を炊かれた。
そして、Nさん達と共同して茶碗を出すやら、
福神漬けの缶を切るやらしてご馳走して下さった。
K子爵はK侯爵の実子である。
併し、亜米利加に来られたせいか、
こんなに平民的になっておられる。