この日誌を書いてから二月ばかりたった。

或る日曜に、クーさんの肖像と長い記事とがタイムス新聞に載っていた。

それによると、クーさんは、ドクトルを得るとすぐ帰国し、袁統領の秘書官になったという事である。

これを見たとき私は、クーさんが抜擢せられたのは全く日頃の勉強によるものであると思った。

紐育にゐる時、私はふとした事からS夫人と知り合いになった。

S夫人は、

冬の間は紐育にいるけれども夏は大抵ゼネバにいるから、私に是非遊びに来るように。

と勧められたので、コーネル大学にS夫人をゼネバに訪ねることした。

S夫人の御親類には、テリー教授と云って東京帝国大が英法の講義をして居られた人がいる。

コーネルにゐる時は、私は全く遊ぶことができなかった。

しかし、ゼネバの山奥に来てからS老婦人とほどんど遊び暮らしてしまったのである。

私は、S夫人と一緒にいる時に、婦人が頭の禿げた部分に綺麗に髪を撫でつけた。

そして、一生懸命お洒落をするのを見たが、別に気にも留めなかった。

婦人は非常にオーソドックスなキリスト教信者であった。

それにも拘らず、毎朝ご飯前に大きなコップにビールを並々と注いて飲むのを常とした。

あなたは、なぜビールをめしあがるのですか。お好きなのですか。

と、聞くと、

朝一杯ずつ飲むと血の巡りを良くし顔色が良くなります。

と答えられた。

然るに驚くべしこの62歳の老婦人は、数か月前結婚してしまった。

私は結婚の通知を受け取った時には、どうしても信用することができなかった。

お祝いの手紙を何とか書いてよいか途方に暮れて、今まで書く事を怠っている。