4月15日、物は少し遠くにある時の方が一番恐ろしい。

愈々接近してみると、

度胸が据わって恐ろしさを感じないものである。

私は、2~3日前までは此の日の事を考えると

居ても立っても居られないほど心配した。

それが今日となってみると、心が静かである。

普通の朝の用事が済むと、

真っ白い地、胸のあたりに縫いのある

平静一等気に入っていたリネンの着物を着た。

そして新しい夏帽を被った。

こうして、出かけようとした時に、例の原口さんが来た。

一寸挨拶したばかりで、私の姿を黙ってじろじろ見ている。

私は、じれったくなったので、

なぜ人をそんなに見てゐるのです。

どっか悪いところでもあるのですか。

と、聞いた。

すると原口さんは、

着物は大層よいが、其の帽子は実に醜悪だ。

と、非常に不愉快さうな顔をした。

私の好みで私が選んだ物を、

かう無遠慮にけなされては私も黙ってゐられない。

それで、

いやですよ。

貴郎(あなた)は、いつも余人の物をけなしすぎます。

これは,

昨日私がわざわざ下町迄行き、買って来た帽子です。

と云うた。

それから

試験の前日、貴重な時間を割いて帽子を買いに行った事

ところが皆大きくて

私が被ると木の子のお化けのようで、

それはそれはおかしくってならない事。

それで、諸所方々何十件となく聞き歩いて、

やっとのことで見つけたのがこの帽子である事

等を話した。

忙しいのにこんなに苦労して買ってきたものを…

と泣き出しそうになって私は言った。

しかし、頑固の原口さんは、聞き入れない。

原口さんの主張はこうであった。

この帽子は形と大きさは宜しい。

だが、色が如何にもけばけばしてゐて下品である。

大学の教授らは、

常にレファインメントの中心に接している。

それだけに、立派な物を見つけている。

そんな所へこんな醜い色の帽子を被っていたなら、

それこそ見るからに悪感情を起こすであらう。

と、云う事であった。

私はもっともだ。

と思ったので嫌々ながら、昔の古帽子に代えた。

九時十分ばかりの時、原口さんに会釈した。

そして、新しい帽子を残して大学へと出かけた。

試験場と定められた部屋の戸を開くと

ソーンダイク教授を始め、

12~13人の先生方がずらりと並んでいた。

私は、黙礼して静かに席に着いた。

口述試験に難しい問いを出す。

というので最も怖がられていたW教授は、

ドイツに行くとのことでこの席にはゐなかった。

軈(やが)て、ソーンダイク教授は一同に向かい、

ミス新井は、

私の指導のもとに心理学教育学を専攻せられました。

どうぞ今日は十分にご質問くださるように。

と、挨拶せられた。

一番先に質問の矢を放たれたのはキャテル教授である。

私は、一所懸命に私の論文の説明・弁護に努めた。

12~13人の先生方が代わる代わる問いかけられた。

私は一つ一つこれに応答した。

三時間にして私の応答は終わった。

試験が済むと、ソーンダイク教授は私に向かひ、

評議の終わるまで、

十分許り(ばかり)隣室で待っていらっしゃい。

と、云われた。

いはるるままに席を立つ。

隣の部屋で待ってゐると、幾分も経たないのに、高い足音が聞こえた。

それは、ソーンダイク教授であった。

教授は嬉しそうに

私はこれからあなたをドクトル・アライと呼ばねばなりませぬ。

と、云いながら私に握手を求めた。

続いて諸先生が入って来た。

そして、小さい私を取り囲んで口々に成功を祝ってくださった。

このときの先生方は、数分前の試験場における先生方とは、まるで別人のように見えた。

先生方に別れると、私は宙を飛んで寮舎に帰った。

それは、原口さんを喜ばせるためであった。

けれど、原口さんはもういなかった。