3月10日
8時頃、最終試験の日取りを決める為に、
試験係長なるトーマス教授の事務室を訪ねた。
先生が、まだ登校されていなかった。
なので、先生のお出でを待とうと思い、隣の控え室に行った。
中央のテーブルに一人の支那人が新聞を読んでいる。
その名をウェリングトン・クーという。
私はこのクーさんには、随分前に、コスモポリタン倶楽部で、
一度だけ会ったことがあるが、その名をよく覚えていた。
というのは、
クーという名が、日本語の「食う」という言葉と、
発音が似ていたからである。
クーさんは、私を見るとすぐ傍へ来て、丁寧に挨拶をした。
私は、
どんな人が私と同じ学位を得るだろうか。
と、いう事に、大変好奇心を持っていた。
なので、
あなたも今年、口頭試験をお受けになるのですか。
と、尋ねた。
クーさんは、如何にも生意気な企てをしたというように、
少し顔を赤らめて
えぇ、少し早すぎると思いますが、
急に支那に帰らなければなりませんから。
と、いいにくそうに答えた。
私は、クーさんの噂をよく聞いていたので、
その言葉を信じなかった。
そして、それが謙遜からおっしゃったと気づいた。
なぜなら、
クーさんはカレッジのはじめからコロンビアで勉強して、
非常によくできるので、評判の人である。
大学の論文や懸賞討論などで賞を得た事が度々ある。
クーさんは論文についてこんなことを言うた。
私の論題は、
今、支那の問題になっている支那の治外法権です。
初めは短いのをと思いましたが、
研究していくうちに材料が増えて、
皆で2000頁ばかりのものになりました。
あまりにも長いので、上下二巻にしました。
遠からず、マクラミン書籍株式会社から出版されます。
ぜひ、読んでください。
私は、これには感心した。
私はたった200頁かそこらの論文を書く事に、
とても骨を折った。
それなのに、2000頁を書きこなし、
なお余裕綽々たるクーさんの能力は、非常に優れている。
のみならず、
その論文がマクラミンのような会社から発行される。
ならば、それは非常に価値のある論文でなければならない。
こんな事を考えているうちに、
トーマス教授も例の太った女性の書記も入ってきた。
クーさんの方が、先に待っていたが、
女権の拡張した国だけあって、
私の方がお先に先生に会える事になった。
先生は、先ず私に都合のよい試験の日取りを聞いた。
私は、4月15日が良いと答えた。
そこで先生は、ソーンダイク教授を始め
心理学部及び教育学部の主なる教授に電話をかけた。
そして、その方々の都合を聞き、
私の申し出た日を試験の日と定めた。
用が済んで事務所を出ようとした時、雨が降り出してきた。
先生はすぐ私に、
雨具の用意がありますから。
と、尋ねられた。
私は、
いいえ。
と、答えた。
すると、先生は、すぐ例の太った女の書記を呼んで、
傘を周旋するように命ぜられた。
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