2月12日、この日、フランス語の試験があるというので、
午前9時大学に行く。
コロンビアでドクトルの学位を得るには、
普通グリークとラティンの中のいづれか一つと
独・佛の二か国語とに通じていなければならぬ。
しかし、心理教育学部・及びその他の2~3学部では、
近頃規則を改正して、グリーク、ライティングは省いて、
独・佛語のみを要求するようになった。
それで、幾分が荷が軽くなったようなものだ。
けれど、英語を外国語として学んだ自分には、
その上2カ国語を修得するという事は、
なかなか困難なことである。
独語は入学すると二学期目から勉強していた。
なので、随分前に好成績で試験を通過することが出来た。
けれど、仏語は遅く始めた。
なので読書力はあっても、文典の知識等は怪しい。
それで2~3か月前から夜を日に継いで、勉強し、
やっとこの日の試験に応ずる様にした。
にわかごしらえの知識をもって試験に臨むほど怖い物はない。
試験は、佛語の主任教授のS教授によって行わるる。
しかし、私は一度もこの先生に教わった事がない。
それどころか、お顔を拝見した事さえない。
そんな事からも、とても不安が増したのである。
先生の事務所のあるフェアウェザー・ホールが眼前に現れた。
私は思わずギョッとした。
同じく佛語を専攻しているCさんが出て来たので、
S先生は、辛い(からい)ですか。
と、尋ねた。
Cさんは、辛子でも食べた時のような顔つきをして
その辛い事ったらお話にならない。
あの先生の試験の時は一同徹夜します。
と、答えた。
これを聞いた私は、怖気づいた。
そして、
このような気持ちになったのは、Cさんのせいだ。
と、思い、おじぎもそこそこにして歩き出した。
Cさんは、呆れた顔をして私を見送った。
ホールに入って昇降機(エレベーター)に乗った時、
ボーイが私の方を向いていたので、思わず、
S先生はどんな方?
と、問うた。
こんな問いを掛けるんではなかった
と、思う矢先にボーイが、
それはそれは良い人ですよ。
と、言ったので、ありがたいボーイだと思った。
四階の一室がS教授の事務所である。
廊下を歩きながらいろいろ先生について想像をした。
ついに部屋の前に来た。
震える手で軽くノックすると中から
お入りください。
と、いう声が聞こえた。
私は、恐る恐る戸を開いた。
大きな事務所用の机を前に読書していた老紳士は、
私が入るとすぐにこちらを振り向かれた。
先生のそばに行き、いつも誰にも言う様に愛嬌の良い
How do you do
と、思ったが、なかなかそれがすらすらと出なかった。
しかし、目の前の先生を見た時に、心配はなくなった。
それは、S教授のお顔に、
とても優しい親切らしい性格がよく表れていたからである。
私が席に着くと、
先生は立ち、書棚から一冊の佛書を取ってきた。
そして、
いきなりこれを開いて出た頁を英語に訳すよう命じられた。
それが済むと先生は、
私の方を向いてにこやかに笑いながら話しかけられた。
あなたは満足に私の試験を通過しました。
と云うのが先生のはじめの言葉であった。