私の知っている人にMという書家がいる。

此の人は、日本書の色彩の立派なるに大層感服しておられた。

そして、逢う度毎に

西洋の水彩画・油絵等が、

日本画の色彩にいかに多く影響せられたか。

を、講釈した。

私も日本画の色彩だけは世界に誇る事ができると思う。

しかし、西洋人を驚かす程の

色彩の発明・発見した日本人の子たる吾々が、

その色彩を日常生活にうまく応用しているかとなると、

あまり誇れないと思われる。

日本中、駆け巡ったわけではないが、

あちらこちらにある男女の集会等に参加した。

その集会に、上下良く調和したる色合いの衣服を、

着ている人は、至って稀なように見受けられる。

着物の色等という物は、

襟が良い色だとか裾の色が立派だとかいふように、

一つ一つの色の良し悪しで決まるのでない。

一つ一つの色等が全体としてどれくらい調和しているか。

という事によって定まるのである。

また、どの色が自分に似合うか等といふ事は、

背の高さ等も相談してでなければ定められない。

彼の国では、これらの点によく注意して着物の色を選択する。

そして、その配合を良くしようと努める。

例えば、

緑目・金髪の人は夏は空色の着物を選ばねばならぬ

とか、

茶色は頭髪の黒い人に勧めてはならない

とか

眼の茶色がかり、

髪の毛の濃い所謂(いわゆる)ブリュネットの人は、

淡紅色かクリーム色が良い。

とか云ふ風に考える。

そして、外国人は、春夏秋冬は勿論、昼夜の差によって、

色の選択を異にする。

なので、色彩の選択に苦心することは、

それは大変な労力である。

もちろん、

色の良い着物を新調する。

などいふ事は、経済上の問題に関係している。

だから、

どんな色が好い。

等と云ってみても、お金がなければ仕方がない。

しかし、衣類等を新調するような場合には、

よくこれらの点に注意する必要がある。

外国夫人は、

手袋の色、手提げかばんの色合いまでも気にする。

と、言われている。

色彩の事と同じく外国夫人が注意するのは、

着物や髪の格好つり合いである。

いくら綺麗に髪を結い、立派な着物を着ても、

体の格好と釣り合っていなかった。

と、なれば、美しくないばかりか却って醜く見える事がある。

米国人ばかりでなく西洋人も、

神を結ぶにも自分の顔の形、背の高さなどと相談する。

ですから、十人十色の髪の結い方をして居る。

しかるに日本では、流行だとさえ言えば、

顔の形などに構わず同じような髪の結い方をする。

だから個人的の特色が没却せられるばかりでなく、

ある場合には、可笑しく見える事すらある。

着物に色の選択、筋の入れ方等も

向こうの人はよく体の格好を見て決める。

これもまた、

われが大いに参考すべき点ではなかろうかと思ふ。