伝道者の書 第3章

エルサレムの王・ダビデの子、伝道者の言葉

これからある事も、すでにあった事。

追い求められてきた事を

神はなおも求められる。

私はさらに日の下で、

裁きの場に不正があり、

正義の場に不正があるのを見た。

私は心の中で

神は正しい人も悪しき者も裁く。

そこでは、全ての営みと

全てのわざに、時があるからだ。

と、言った。

私は心の中で、

神は人の子らを試みて

自分達が獣にすぎない事を、

彼等が気付くようにされたのだ。

と、言った。

何故なら、人の子の結末と

獣の結末は同じ結末だからだ。

これも死ねば、あれも死に、

両方とも同じ息を持つ。

それでは、人は獣に勝っているのか。

勝ってはいない。

全ては空しいからだ

全ては同じ所に行く。

全てのものは土の塵から出て、

全てのものは土の塵に帰る。

誰が知っているだろうか。

人の子らの霊は上に昇り、

獣の霊は地の下に降りて行くのを。

私は見た。

人が自分の技を楽しむ事に

勝る幸いはない事を。

それが人の受ける分であるからだ。

誰が、これから後に起こる事を

人に見せてくれるだろうか。

全ての事には定まった時期があり、

天の下の全ての営みに時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、

植えた物を抜くのに時がある。

殺すのに時があり、癒すのに時がある。

崩すのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、笑うのに時がある。

嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、

石を集めるのに時がある。

抱擁するのに時があり、

抱擁をやめるのに時がある。

求めるのに時があり、

あきらめるのに時がある。

保つのに時があり、縫うのに時がある。

黙っているのに時があり、話すのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。

戦いの時があり、平和の時がある。

働く者は労苦して何の益を得るだろうか。

私は神が人の子らに従事するようにと

与えられた仕事を見た。

神のなさる事は、全て時に叶って美しい。

神はまた、人の心に永遠を与えられた。

しかし、人は、神が行う御業の始まりから

終わりまでを見極める事ができない。

私は、

人は皆食べたり飲んだりして、

全ての労苦の中に幸せを見出す事も、

神の賜物である事

を、知った。

私は神がなさる事は全て、

永遠に変わらない事を知った。

それに何かを付け加える事も。

それから何かを取り去る事もできない。

人が神の御前で恐れるようになる為、

神はそのようにされたのだ。

今ある事は、すでにあった事