神の御心によるキリスト・イエスの使徒パウロと兄弟テモテから
コリントにある神の教会、ならびにアカイア全土にいる全ての聖徒達へ。

私達の地上の住まいである幕屋が壊れました。

しかし、私達は

天に、神が下さる建物・人の手によらない永遠の住まいがある事

を、知っています。

だから、この幕屋で呻きます。

天から与えられる住まいに住みたいと切望しています。

その幕屋を呪いだとしても私達は裸の状態でいる事はありません。

確かに、この幕屋のうちにいる間、

私達は重荷を負って呻いています。

それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。

死ぬはずの者が、命によって呑み込まれる為に、

天からの住まいを上に着たいからです。

そうなるのにふさわしく私たちを整えて下さったのは、神です。

神はその保証として御霊を下さいました。

ですから、私達はいつも心強いのです。

ただし、肉体を住まいとしている間は、

私達は主から離れているという事も知っています。

私達は見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。

私達は心強いのです。

ですが、それよりも肉体を離れて

主の御もとに住む方がよいと思っています。

そういうわけで、

肉体を住まいとしていても、

肉体を離れていても、

私達が心から願うのは、主に喜ばれる事です。

私達は皆、善であれ、悪であれ、

それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けます。

その為にキリストの裁きの座の前に、現れなければならないのです。

主を恐れる事を知る私達は、人を説得しようとしています。

私達の事は神の御前に明らかです。

しかしそれが、あなた方の良心にも

明らかになる事が私の望みです。

私達は、またしてもあなた方に、

自分を推薦しているのではありません。

それよりも、あなた方に、私達の事を誇る機会を与えます。

心ではなく、うわべを誇る人達に、

応じられるようにしたいのです。

私達が正気でないとすれば、それは神の為であります。

正気であるとすれば、それはあなた方の為です。

というのは、キリストの愛が、私達を捕えているからです。

私達は、

一人の人が全ての人の為に死んだ以上、

全ての人が死んだのである。

と、考えました。

キリストは、全ての人の為に死なれました。

それは、生きている人々が、

もはや自分の為に生きるのではありません。

自分の為に死んで甦った方の為に、生きる為です。

ですから、私達は今後、肉に従って人を知ろうとはしません。

かつては、

肉に従ってキリストを知っていたとしても今は違います。

ですから、誰でもキリストのうちにあるなら、

その人は新しく造られた物です。

古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。

これらの事は全て、神から出ています。

神は、キリストによって私達を、ご自分と和解させました。

また、和解の務めを、私達に与えて下さいました。

すなわち、

神はキリストにあって、

この世をご自分を和解させ、

背きの責任を人々に負わせず、

和解の言葉を、

私達にゆだねられました。

こういう訳で、神が私達を通して勧めておられます。

ですから、私達はキリストに変わる使節なのです。

私達は、キリストに代わって願います。

神と和解させていただきなさい。

神は、罪を知らない方を、私達の為に罪とされました。

それは、私達がこの方にあって神の義となる為です。

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