神の御心による
キリスト・イエスの使徒パウロと
兄弟テモテから
コリントにある神の教会、
ならびにアカイア全土にいる
全ての聖徒達へ。

こういう訳で、私達は、

憐れみを受けてこの務めについています。

なので、落胆する事がありません。

かえって、

恥となる様な隠し事を捨て、

ずる賢い歩みをせず、

神の言葉を曲げず、

真理を明らかにする

で、神の御前で自分自身を、

全ての人の良心に推薦しています。

それでもなお、

私達の福音に覆いが掛かっている

としたら、それは、

滅びゆく人々に対して覆いが掛かっている

と、いう事です。

彼等の場合は、この世の神が、

信じない者達の思いを暗くし、

神の形であるキリストの栄光に関わる

福音の光を輝かせないようにしているのです。

私達は、自分自身を宣べ伝えていません。

主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。

私達自身は、イエスの為に

あなた方に仕えるしもべなのです。

神が

闇の中から光が輝き出よ。

と、言われました。

その神が、

キリストの御顔にある神の栄光を

知る知識を輝かせる為に、

私達の心を照らしてくださったのです。

私達は、この宝を土の器の中に入れています。

それは、

この計り知れない力が神のものであり、

私達から出たものではない事

が明らかになる為です。

私達は四方八方から苦しめられますが、

窮する事はありません。

途方に暮れますが、

行き詰まる事はありません。

迫害されますが、見捨てられる事はありません。

倒されますが、滅びません。

私達は、何時もイエスの死を身に帯びています。

それはまた、

イエスの命が私達の身に現れる為です。

私達生きている者は、

イエスの為に絶えず死に渡されています。

それはまた、イエスの命が、

私達の死ぬべき肉体において現れる為です。

こうして、死は私達のうちに働き、

命はあなた方のうちに働いているのです。

詩編に

私達は信じています。

それ故に語ります。

と、書かれています。

それと同じ信仰の霊を持っている

私達も信じている故に語ります。

主イエスを甦らせた方が、

私をもイエスとともに甦らせえ、

あなた方と一緒に御前に立たせて下さる事

を、知っているからです。

全ての事は、

あなた方の為であり、

恵みがますます多くの人々に及んで

感謝が満ち溢れ、

神の栄光が現れるように

なる為なのです。

ですから、私達は落胆しません。

たとえ、私達の祖となる人は衰えても、

内なる人は日々新たにされています。

私達の一時の軽い苦難は、

それとは比べものにならないほど

重い永遠の栄光を私達にもたらすのです。

私達の見えるものにではなく、

見えないものに目を留めます。

見えるものは一時的であり、

見えないものは永遠に続くからです。