ですから私達は、
キリストについての初歩の教えを後にして、
成熟を目指して進もうではありませんか。
基礎的な事
死んだ行いからの回心・
神に対する信仰、
きよめの洗いについての教えと手を置く儀式、
死者の復活と永遠の裁き等、
もう一度
やり直したりしないようにしましょう。
神が赦されるなら、先に進みましょう。
一度、光に照らされ、天からの賜物を味わい、
聖霊に預かる者となりました。
神の素晴らしい御言葉と、
来たるべき世の力を味わいました。
その上で、堕落してしまう人達を、もう一度
悔い改めに立ち返らせる事はできません。
彼らは、
自分で神の子を、
もう一度十字架にかけて晒し者にする者達
だからです。
たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、
耕す人達に有用な作物を生じる土地は、
神の祝福に預かります。
が、茨やアザミを生えさせる土地は無用で、
やがて呪われ最後は焼かれてしまうのです。
だが、愛する者達。
私達は、このように言いますが、
あなた方については、
もっと良い事、救いに繋がる事
を、確信しています。
神は不公平な方ではありません。
だから、あなた方の働きや愛を、
忘れたりなさいません。
あなた方は、これまで聖徒達に仕えてきました。
今も仕える事によって、
神の御名の為に愛を示しました。
私達が切望するのは、あなた方一人一人が
同じ熱心さを示し、
最後迄、私達の希望について
十分な核心を持ち続け、
その結果、怠け者とならず、
信仰と忍耐により、約束の物を、
受け継ぐ人達に倣う者となる事です。
神は、アブラハムに約束際、
ご自分より大いなるものにかけて
誓う事ができなかった。
なので、ご自分にかけて、
確かに、私はあなたを大いに祝福し、
あなたを大いに増やす。
と、誓われました。
このようにして、アブラハムは、
忍耐の末に約束の物を得たのです。
確かに、人間は、
自分より大いなるものにかけて誓います。
そして誓いは、
全ての論争を終わらせる保証となります。
そこで、神は約束の相続者達に、
ご自分の計画が変わらない事を、
さらにはっきり示そう。
と、思いました。
そして、誓いをもって保証されました。
それは、
前に置かれている希望を捕えよう。
として逃れてきた私達が、
約束と誓い
と、いう変わらない二つのものによって、
力強い励ましを受ける為です。
その二つについて、神が偽る事はあり得ません。
私達が持っているこの希望は、
安全で確かな、魂の碇のようなものであり、
また幕の内側にまで入っていくものです。
イエスは、
私達の為に先駆けとしてそこに入りました。
メルキゼデクの例に倣って、
とこしえに大祭司となられたのです。