私が使徒となったのは、人間から出た事ではありません。また、人間の手を通した事でもありません。
イエス・キリストを死者の中から甦らせた父なる神によるものです。私とともにいるすべての兄弟達から、ガラテヤの諸教会へ。
愚かなガラテヤ人。
十字架に付けられたイエス・キリストが、
目の前に描き出された。
というのに、誰があなた方を惑わしたのですか。
これだけは、あなた方に聞いておきたい。
あなた方が御霊を受けたのは、
律法を行ったからですか。
それとも、信仰を持って聞いたからですか。
あなた方は、そんなにも愚かなのですか。
御霊によって始まったあなた方が、
今、肉によって完成されるというのですか。
あれほどの経験をしたのは、
無駄だったのでしょうか。
まさか、無駄だったという事はないでしょう。
あなた方に御霊を与え、
あなた方の間で力ある技を行われる方は、
あなた方が律法を行った。
からそうなさるのでしょうか。
それとも信仰をもって聞いたから
そうなさるのでしょうか。
聖書に
アブラハムは神を信じた。
その事が彼の義と認められた。
と、ある通りです。
ですから、信仰により生きる人々こそ
アブラハムの子であると知りなさい。
聖書は、
神は、
異邦人を信仰によって義とお認めになる事
を、前から知っていた。
なので、アブラハムに対して
全ての異邦人があなたにより祝福される。
と、前もって福音を告げました。
ですから、信仰によって生きる人々が、
信仰の人アブラハム
とともに祝福を受けるのです。
律法の行いによる人々は、
皆、呪いのもとにあります。
律法の書に
全ての事を守り行わない者は皆呪われる。
と、書いてあるからです。
律法により神の前に義と認められる者が、
誰もいないという事は、明らかです。
義人は信仰により生きるからです。
律法は信仰によるのではありません。
律法を行う人は、
その掟によって生きるのです。
キリストは、
ご自分が私達の為に呪われた者となる事で、
私達を律法の呪いから贖い出して下さいました。
聖書には、
木にかけられた者は皆、呪われている。
と、書いてあるからです。
それは、
アブラハムへの祝福がキリストイエスにより
異邦人及び私達が信仰によって
約束の御霊を受けるようになる為でした。
兄弟達よ。人間の例で説明しましょう。
人間の契約でも一度結ばれたら、
誰も無効にしたり付け加えたりはしません。
約束は、アブラハムと子孫に告げられました。
神は、
子孫達に。
と、言い多数を指しませんでした。
一人を指して、
あなたの子孫に
と、言っておられます。
それはキリストの事です。
私の言おうとしている事はこうです。
先に神によって、契約が結ばれました。
その契約を、430年経ってできた律法が、
無効にしました。
その契約を破棄する事はありません。
相続がもし、律法によるなら、
それは約束によるのではありません。
しかし、神は約束を通して、
アブラハムに相続の恵みを下さったのです。
それでは、律法とは何でしょうか。
それは、
約束を受けたその子孫が来られる時まで、
違反を示す為に付け加えられたもので、
御使い達を通して仲介者の手で定められた契約
です。
仲介者は、当事者が一人であればいりません。
しかし、
約束をお与えになった神は、唯一の方です。
それでは律法は神の約束に反するのでしょうか。
決してそんな事はありません。
もし、命を与える事ができる律法が、
与えられたとします。
義は確かに律法によってだったでしょう。
しかし聖書は、
全ての者を罪の下に閉じ込めました。
それは、
約束がイエスキリストに対する
信仰により信じる人達
に、与えられる為でした。
信仰が現れる前、
私達は律法の下で監視されていました。
来たるべき信仰が啓示される迄、
閉じ込められてきました。
こうして、律法は、
私達をキリストに導く養育係となりました。
それは、私達が信仰により
義と認められる為です。
しかし、信仰が現れたので、
私達はもはや養育係のもとにはいません。
あなた方は皆、信仰により、
キリストイエスにあって神の子供です。
キリストにつくバプテスマを受けたあなた方は、
皆、キリストを着たのです。
ユダヤ人もギリシア人もなく、
奴隷も自由人もなく、男も女もありません。
あなた方は皆、キリスト・イエスにあって
一つだからです。
あなた方がキリストのものであれば、
アブラハムの子孫であり、
約束による相続人なのです。