H 大陸横断

P嬢はバンクーバーに泊まることになったので、

私はT嬢とともに大陸を横断せねばならぬことになった。

世界の旅客を集める

と、言われているくらいの景色の良い所だから、

汽車中の設備は間然するところなかった。

オブザベーション・カーというのに乗ると、。

汽車の箱の両側がすっかり開いていて、

四方の景色がすっかり見える。

汽車は、ほどなくロッキー山に差し掛かった。

気候は次第に寒くなってきた。

今、山と山との峡間を走っているかと思うと、

たちまち絶壁の上を走っている。

おぉ寒い

と、呟きながら、寝台車に帰り

コートを引っ掛け、また、展望車に来てみると、

青々としていた地面は、はやに通り過ぎていて、

雪が一面に積もっている。

山の頂に達したのであろう。

夜に入った。

ふと、目を覚ますと、

ほの白い月光に照らされた。

静かな景色が寝台の窓に映っている。

急に、暗くなってきた。

蒼然した樹々の中に恐ろしい瀑布の音が聞こえる。

蛍の光がちらちらと見える。

山を上下する事二日にして、

山も川もない大平原に出た。

カナダの東モントリォールまで同行するハズであったT嬢は、

都合がある

と、言って、

同じ列車に乗り合いしていた英国人の家族に私を託し、

トロントへと向かって別れた。

日本よりの連れは、

これで一人もない事になってしまったのである。

バンクーバーまで自分の世話をしてくれたパティ嬢と

バンクーバーから道連れになったT嬢との間には、

争わらぬ性格の相違がある。

ミス・パティ嬢は

自分には少々不都合な事があっても

我慢して人を便利にしてやる

と、いうような風がある。

ミスTは、その反対である。

バンクーバーに出る時にミス・パティは停車場に来て、

寝台車中の下段の寝台は値段が高いが

便利であるから

と、言って、下の寝台を私に買うように勧めてくれた。

私はその忠告にしたがって下の段を買ったのである。

しかるに他の人には、は、

上も下も同一の値段である。

と、いうような事をいって、

旅行中、最初の二晩は

下の私のベッドを占領していたのである。

私は、英語が不十分だし、

土地の事情がわからないために

たぶんそうしたのであろう。

後で、車掌が切符と寝台とを調べに来て、

私を下の段に移すことにしてくれた。

私は、例の英人の家族と共に、

モントリオールに向かった。

家族は、夫婦と子供二人でまことに親切な人々であった。

モントリオールに着いたのが少し遅れたためか、

私は、「紐育行き」の予定の汽車に乗る事が出来なかった。

日本にいる時は、

名も聞いた事のないような外国の町に来て

一人寂しく夜を明かさねばならぬか

と、思った時は、張り詰めていた心にも

言ふに言われぬ悪寒を催すのを覚えたのであった。

あなた、それじゃどうなさいます。

どこかにお泊りですか。

この街は有名な人の悪い所、

一人ではあぶのうございます。

私共は、市外に住まっていて、

どうせこれから長い道を

電車で行かねばならぬのですから、

一層の事、

あなたの為にご一緒にホテルに泊まりましょう。

と、誘ってくれたのは二人の子供の父であった。

家族四人に取り巻かれて、壺の様に明るい町を

一町ほど歩いて大きなホテルに来た。

夜の食事がすむとボーイは、

私に荷物をもって三階の一室に案内した。

これは、15畳ばかりの部屋で

空っぽの銀台と衣服掛けと白いベットが

殺風景に配置されている。

床に入ると旅の疲れで、すぐぐっすり寝てしまった。

翌朝、ドアを叩く軽い音で目が覚めた。

あなた、もう7時ですよ。

お起きにならないと遅くなるって、

父が申しましたよ。

と、いうのは、あの親切な人の子供の可愛い声であった。

あら、そう、すぐ支度をして行きます。

と、お父様に言ってちょうだい。

と、言いながら跳ね起き、

大急ぎで服をつけて一階に行った。

食堂へ行くと、家族はもうそろって私を待っていた。

そして、

ゆうべはよく眠ったか。

夢は見たのか。

と、いろいろ質問をして私を慰めた。

果物・シリヤル・カフィー・焼きパン・肉などで

普通の朝飯を済ました後、

家族一同、私を送り、9時30分のニューヨーク行の

汽車に乗せてくれた。

もう、これからは、米国の領分で、

汽車の造りから入ってくる人まで

すっかり様子が違っている。

汽車は日本の二倍くらいあって、

両側に長く腰掛けがおいてある所は、

丁度電車のようである。

私の隣に一人の婦人がいた。

非常に立派に装っている。

日本なら貴族の奥様でなければこんな風にできない

と、思った。

一時間はかり経っも、まだ、口が動いている。

米国人という者は、随分食いしん坊な人だと思った。

今度はどんなお菓子を食べるのか

と、見ないふりしてみてみると、

一時間たっても、二時間たっても

新しいお菓子を口に入れない。

しかも、婦人の口に

何か美味しい物でも入っているかのように、

始終動いている。

それが、果たして何者であるか、

其の後、長い間の疑問であったが、

ふとしたことから分かった。

それは、チューインガムと言って、

わめて下品な噛む者であった。

壊してしまうのは一瞬でできるから「大切に生きて」と彼女は泣いた