生 命 の 価 値

同じ婦人運動と言っても、北米合衆国やスェーデンの如くに、

この方面から見て非常に進んでいる國もあれば、

加独力(カトリック)教諸国の如くに、

甚だ遅れてる國にもある。

世の中は、まことに多種多様である。

それなのに、

これら諸国における婦人運動の進歩を、

僅かなページに書き尽くせ。

というご注文は、少々無理ではあるが、

紙数がないとならば致し方ありません。

故パウルゼン教授は、

その名著・檎逸教育史(どいつきょういくし)において、

もしヨーロッパの文明を教育の上から見るならば、

三時期に区分けすることが出来る。

第一は、

上古の時代で、この時代においては、

個人は、国家の為に有用なる人物となる為に教育され、

中古時代には、

個人は、教育のお役に立つように教育され、

近世期においては、

人は自分自らの為に教育せらるるようになった。

と、申しております。

近世になってから、

人は一般に人格というものは、

人間社会における価値の中心で、またその製造所である。

と、いう事に気が付きました。

すなわち、

人格というものがなかったならば、

たとえ客観的に価値なるものが存在していても

それは、あってもなくても同じようなものである。

と、いう事に気が付きました。

したがって、これまでにおいては、

見ることが出来ない勢いをもって、

生を慕い、生に憧れ、己の権利を主張するようになりました。

斯くの如き考え始めは、男子の間にのみ起ったものであったが、

最近に至って、女子がまたこの考えにかぶれて来た男子と同じ様に、

自己の生命を尊重し、この権利を主張するようになってまいりました。

これが、今日婦人参政権運動が起こるに至って、主なる原因の一つであります。