アメリカの女性は、日本の女性と比較して
子供らしくて無邪気な所が多い。
数え年17と言うと、日本の婦人ならば、
もう娘盛りで、そろそろ嫁入り支度等と騒ぐのだが、
アメリカでは、まだ子供で、
下げ髪を結うて大きなリボンを掛け、
膝までの短いスカートで、男の子と一緒に跳ね回っている。
高等女学校というものはなく、小学校を終えると、
ハイスクールという男女混合の中学程度の学校へ入り、
男子と同じ学科目を学ぶ。
しかし、なかなか男性になんか負けていないで、
クラスの主席はたいてい女性が占める。
というありさまである。
ハイスクールを終え、大学に入り、
或いは、家庭に留まるようになる時に、
だんだん男子と待遇が異なって来て、
レディーとして取り扱われるようになる。
今までは、下女までが、
メリーとかルウィーズとか呼び捨てにしていたが、
今度はちゃんとミスの肩書を付ける。
手に手を取って、飛び歩いてた隣のヘンリー。
マリ投げの相手をした向かいのジェームス。
これからは、
彼らに会う為には、いろいろな手続きが必要になってくる。
総じて米国婦人の娘時代は、
自由のようでなかなか自由でない。
ここに普通の中流社会の娘が、
どんな形式を通って、生活していくかを少し書いてみよう。
まず、高等女学校や大学を卒業して、
いよいよ娘が社交界に出るという時に、
両親は、その親戚・朋友の青年男女を招いて、
晩餐会・舞踏会等を催して娘を紹介する。
これは、娘時代の大きなイベントで、
結婚式も及ばぬような立派な催しをする時もある。
私の知人で有名な米国大学教授の娘が、
独逸に留学して二十歳で帰って来た。
すると、娘の母親は紐育の名のなるホテルで舞踏会を催し、
娘をソサイテーに紹介した。
私も招かれて、出席した。
なかなか盛大な催しだった。
舞踏室の入口が美しく飾られて、
母親は、裾の長い黒レースのイブニングドレスをめしていた。
娘は、薄いピンクの美しい夜会服で、
帯の所に薔薇の生き生きした大きな花束を付けていた。
母親は、娘を来る人来る人ごとに紹介している。
来会者の多くは青年で、
舞踏会だけあって男女の数がほとんど同じであった。
9時頃には、ほとんど揃い、十時から舞踏会が始まった。
令嬢はこの世の華で若い青年が周りに集まり、
舞踏の相手をさせてくれ。
と、頼んでいる。
このようにして日付が変わるまで遊び、
二時ごろ来客は次第に帰り始める。
娘を社会に紹介するという事だけに、
こんなにおおきな催しをしなくてもよさそうなものだ。
と、思ふが、
米国のような結婚の風習において、
良い配偶を得るには、多数の男子を知ることが必要で、
その為には、このような社交機関によらねばならない。