知恵のある者とされるにふさわしいのは誰か。
物事の解釈を知っているのは誰か。
人の知恵は、その人の顔を輝かせ、
その顔の硬さを和らげる。
私は、
王の命令を守れ。
神への誓約があるから。
王の前から慌てて出て行くな。
悪事に荷担するな。
王は自分の望むままを行うから。
王の言葉には権威がある。
誰が、王に
何をするのか。
と、言えるだろうか。
命令を守る者は禍を知らない。
知恵ある者の心は時と裁きを知っている。
全ての営みには時と裁きがある。
人に降りかかる禍は多い。
何が起こるかを知っている者はいない。
いつ起こるかを、誰雄告げる事は出来ない。
風を支配し、
風をとどめておく事のできる人はいない。
死の日を支配する事はできない。
この戦いから免れる者はいない。
そして、悪は悪の所有者を救い得ない。
と、言う。
私はこの全てを見て、私の心を注いだ。
日の下で行われる一切のわざについて、
人が人を支配して、
禍を持たらす時について。
すると私は、
悪しき者達が葬られて去っていく姿を見た。
彼等は、聖なる方の所から離れ去り、
わざを行ったその街で忘れられる。
これもまた空しい。
悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、
人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。
悪を100回行っても、罪人は長生きしている。
しかし私は、
神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せである事
知っている。
悪しき者には幸せがない。
その生涯を影のように長くする事はできない。
彼らが神の御前で恐れないからだ。
空しい事が地上で行われている。
悪しき者の行いに対する報いを受ける。
正しい人も人もいれば、
正しい人の行いに対する報いを受ける
悪しき者もいる。
私は
これもまた虚しい
と言う。
わたしが昼も夜も眠らずに知恵を知る。
地上で行われる人の営みを見ようと心に決めた。
その時、全ては神のみわざである事が分かった。
人は日の下で行われるみわざを見極める事はできない。
人は労苦して探し求めても見出す事はない。
知恵のある者が知っていると思っても、
見極める事はできない。