伝道者の書 第8章

エルサレムの王 ダビデの子 伝道者の言霊

知恵のある者とされるにふさわしいのは誰か。

物事の解釈を知っているのは誰か。

人の知恵は、その人の顔を輝かせ、

その顔の硬さを和らげる。

私は、

王の命令を守れ。

神への誓約があるから。

王の前から慌てて出て行くな。

悪事に荷担するな。

王は自分の望むままを行うから。

王の言葉には権威がある。

誰が、王に

何をするのか。

と、言えるだろうか。

命令を守る者は禍を知らない。

知恵ある者の心は時と裁きを知っている。

全ての営みには時と裁きがある。

人に降りかかる禍は多い。

何が起こるかを知っている者はいない。

いつ起こるかを、誰雄告げる事は出来ない。

風を支配し、

風をとどめておく事のできる人はいない。

死の日を支配する事はできない。

この戦いから免れる者はいない。

そして、悪は悪の所有者を救い得ない。

と、言う。

私はこの全てを見て、私の心を注いだ。

日の下で行われる一切のわざについて、

人が人を支配して、

禍を持たらす時について。

すると私は、

悪しき者達が葬られて去っていく姿を見た。

彼等は、聖なる方の所から離れ去り、

わざを行ったその街で忘れられる。

これもまた空しい。

悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、

人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。

悪を100回行っても、罪人は長生きしている。

しかし私は、

神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せである事

知っている。

悪しき者には幸せがない。

その生涯を影のように長くする事はできない。

彼らが神の御前で恐れないからだ。

空しい事が地上で行われている。

悪しき者の行いに対する報いを受ける。

正しい人も人もいれば、

正しい人の行いに対する報いを受ける

悪しき者もいる。

私は

これもまた虚しい

と言う。

わたしが昼も夜も眠らずに知恵を知る。

地上で行われる人の営みを見ようと心に決めた。

その時、全ては神のみわざである事が分かった。

人は日の下で行われるみわざを見極める事はできない。

人は労苦して探し求めても見出す事はない。

知恵のある者が知っていると思っても、

見極める事はできない。