初めからあったもの、私達が聞いたもの、自分の目で見たもの、
じっと見つめ自分の手で触ったもの、すなわち、命の言葉について、この命が現れました。
御父とともにあり、私達は、自分達の為に現れた永遠の命を見ました。なので証してあなた方に伝えます。

私達が、神の子供と呼ばれる為に、

御父がどんなに素晴らしい愛を、

与えて下さったかを、考えなさい。

事実、私達は神の子供です。

世が私達を知らないのは、

御父を知らないからです。

愛する者達。

私達は今既に神の子供です。

やがて、どのようになるのか、

まだ明らかにされていません。

しかし、私達は、キリストが現れた時に、

キリストに似た者になる事は知っています。

キリストをありのままに見るからです。

キリストにこの望みをおいている者は、

キリストが聖い方であるように、

皆、自分を聖くします。

キリストが聖い方であるからです。

罪を犯している者はみな、

律法に違反しています。

罪とは、律法に違反する事です。

あなた方が知っている通り、

キリストは、罪を取り除く為に現れました。

この方には、罪はありません。

キリストに留まる者は誰も、罪を犯しません。

罪を犯す者は、誰も、

キリストを見た事もなく、知ってもいません。

幼子達、

誰にも惑わされていけません。

義を行う者は、正しい人です。

キリストが正しい方だからです。

罪を犯している者は、

悪魔から出た者です。

悪魔は初めから罪を犯しているからです。

その悪魔の技を打ち破る為に、

神の御子が現れました。

神から生まれた者は誰も、罪を犯しません。

神の種がその人のうちに、

とどまっているからです。

その人は神から生まれたので、

罪を犯す事が出来ないのです。

この事により、

神の子供と悪魔の子供の区別

が、はっきりします。

義と行わない者は誰であれ、

神から出たものではありません。

兄弟を大切に出来ない者もそうです。

あなた方が初めから聞いている使信は、

互いに愛し合うべきである事

です。

カインのように、なってはいけません。

彼は悪い者から出た者で、

自分の兄弟を殺しました。

なぜ、殺したのでしょうか。

自分の行いが悪く、

兄弟の行いが正しかったからです。

兄弟達。

世が、あなた方を憎んでも、

驚いてはいけません。

私達は、

自分が死から命に移った事

を、知っています。

兄弟を大切にしているからです。

大切にしない者は死のうちに留まっています。

兄弟を憎む者は、人殺しです。

あなたは、

人を殺す者に永遠の命が留まらない。

と、知っています。

キリストは私達の為に、

ご自分の命を捨てて下さいました。

それによって私達に愛が分かったのです。

ですから、私達も兄弟の為に、

命を捨てるべきです。

この世の財を持っていませんか。

自分の兄弟が困っている姿を見ても、

憐みの心を閉ざす者に、

どうして神の愛が留まっているのでしょう。

子供達。

私達は、言葉や口先だけではなく、

行いと真実を持って愛しましょう。

そうすることによって、

私達は自分が真理に属している事を知ります。

神の御前に心安らかでいられます。

たとえ、自分の心が責めたとしても、

安らかでいられます。

神は、私達の心よりも大きな方であり、

全てをご存知だからです。

愛する者達。

自分の心が責めないなら、

私達は神の御前に確信を持つことができます。

そして、求めるものを、

何でも神からいただく事ができます。

私達が神の命令を守り、

神に喜ばれる事を行っているからです。

神の命令は、

御子イエス・キリストの名を信じ、

キリストが命じられたとおりに

互いを思いやる事

です。

神の命令を守る者は神のうちにとどまり、

神もまたその人のうちにとどまります。

神が私達のうちにとどまっておられる事は、

神が私達に与えて下さった御霊

によりわかります。