ローマ人への手紙 第14章

キリスト・イエスのしもべ、

神の福音の為に選び出され、

使徒として召されたパウロから

この福音は、

神がご自分の預言者達を通して

聖書にあらかじめ約束された、御子に関する書です。

御子は、

肉によればダビデの子孫から生まれました。

聖なる霊によれば、

死者の中から復活により

力ある神の子として公に示された方、

私達の主イエス・キリストです。

この方により、私達は恵みと使徒の務めを受けました。

御名の為に、

全ての異邦人の中に信仰の従順をもたらす為です。

その異邦人達の中にあって、あなた方も召されて

イエス・キリストのものとなりました。

ローマにいる全ての神に愛され、召された聖徒達へ。

私達の父なる神と主イエス・キリストから

恵みと平安があなた方にありますように。

信仰の弱い人を受け入れなさい。

その意見を裁いてはいけません。

ある人はなにを食べてもよいと信じています。

が、弱い人は野菜しか食べません。

食べる人は食べない人を見下してはいけません。

神がその人を受け入れてくださったのです。

他人のしもべを裁くあなたは何者ですか。

しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。

しかし、しもべは立ちます。

主は、彼を立たせる事が、おできになるからです。

或る日を別の日よりも大事だと考える人もいます。

どの日も大事だと考える人もいます。

それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

特定の日を尊ぶ人は、主の為に尊んでいます。

食べる人は、主の為に食べています。

神に感謝しているからです。

食べない人も主の為に食べません。

だから、神に感謝しているのです。

私達の中で誰一人、

自分の為に死ぬ人もいないからです。

私達は、生きるとすれば主の為に生きます。

そして、死ぬとすれば主のために死にます。

ですから、生きるにしても

死ぬにしても、私達は主のものです。

キリストが亡くなり甦られたのは、

全ての人の主と成る為です。

亡くなった人にも生きている人にもです。

それなのに、

あなたはどうして、自分の兄弟を裁くのですか。

どうして、自分の兄弟を見下すのですか。

私達は皆、神の裁きの座に立つ事になるのです。

聖書には、

私は生きている―主の言葉

すべての膝は、私に向かって屈められ、

全ての舌は、神に告白する。

と、書いてあります。

(イザヤ書第45章23節・第49章18節)

ですから、私達はそれぞれ自分について、

神の申し開きをする事になります。

こういう訳で、私達はもう

互いに裁き合わないようにしましょう。

いや、むしろ、

兄弟に対して妨げになるもの、

つまずきになる者を置く事はしない。

と、決心しなさい。

私は主イエスにあって知り、また確信しています。

それ自体で汚れている者は何一つありません。

ただ、何が汚れていると考えるに人には、

それは汚れた者なのです。

もし、食べ物の事で、

あなたの兄弟が心を痛めているとします。

それ自体で汚れているものは何一つありません。

ただ、何かが汚れていると考える人には、

それは汚れたものなのです。

もし、食べ物の事で、

あなたの兄弟が心を痛めているとします。

ならば、

あなたはもはや愛によって歩んではいません。

私達の罪の為に

キリストが代わりに死んでくださった。

そのような人を、

あなたの食べ物の事で滅ぼさないでください。

ですから、あなたが良いとしている事で、

悪く言われないようにしなさい。

何故なら、神の園の喜びは、

食べたり、飲んだりする事ではありません。

聖霊による義と平和です。

このように、

キリストに仕える人々は、神に喜ばれます。

そして人々にも認められるのです。

ですから、

私達は平和に役立つ事

お互いの霊的な成長に役立つ事

を、追い求めましょう。

食べ物の為に神の御業を、

台無しにしてはいけません。

すべての食べ物は聖いのです。

しかし、

人に躓きを与える者には、悪いものなのです。

良い事は、

肉を食べず、

葡萄酒を呑まず、

あなたの兄弟が躓くような事

を、しない事です。

あなたが持っている信仰は、

神の御前で自分の信仰として持っていなさい。

自分が良いと認めている事で、

自分自身を裁かない人は幸いです。

しかし、

疑いを抱く人が食べるなら、罪ありとされます。

何故なら、それは信仰から出でいないからです。

信仰から出ていない事はみな罪です。