キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから
ピリピにいるキリスト・イエスにある全ての聖徒達、
並びに監督達と執事達へ。
私の父なる神と主イエスキリストから恵みと平安が
あなた方にありますように。
最後に、私の兄弟達、主にあって喜びなさい。
私は、また同じ事を幾つか書きます。
が、これは私にとって面倒な事ではなく、
あなた方の安全の為にもなります。
犬どもに気を付けなさい。
悪い働き人達に気を付けなさい。
肉体だけの割礼の者に気を付けなさい。
神の御霊によって礼拝し、
キリスト・イエスを誇り、
肉に頼らない私達こそ、
割礼の者なのです。
ただし、私には、
肉においても頼れるところがあります。
他の誰かが肉に頼れると思うなら、
私はそれ以上です。
私は、生まれた八日目に割礼を受けました。
イスラエル民族・ベニヤミン部族の出身、
へブル人の中のへブル人、
律法についてはパリサイ人、
その熱心については、
教会を迫害したほどであります。
律法による義については、
非難される所がない者でした。
このような事全て、自分にとって得でありました。
ですが、このような全てのものを、
キリストの故に損と思うようになりました。
私の主であるキリスト・イエスを、
知っている事は素晴らしい事です。
それ故に、全てを損と思っています。
私は、キリストの故に全てを失いました。
が、それらはちりあくただと考えています。
それは、
私がキリストを得て、キリストにある者を、
認められるようになる為です。
私は律法による自分の義ではなく、
キリストを信じる事による義、
すなわち、信仰に基づいて
神から与えられる義を持つのです。
私はキリストとその復活の力を知りました。
キリストの苦難にも預かりました。
キリストの死と同じ状態になりました。
何とかして死者の中から復活に達したいのです。
私は既に得たものではなく、
既に完全にされているのでもありません。
ただ、捕らえようとして追及しているのです。
そして、イエス・キリストが、
それを得るように。
と、私を捕えて下さったのです。
兄弟達。
私は、
自分がすでに捕えられた。
などと考えてはいません。
ただ一つの事、
すなわち後ろの物を忘れ、
前のものに向かって身を伸ばし、
キリスト・イエスにあって
神が上に召してくださる。
というその賞をいただく為に、
目標を目指して走っているのです。
ですから、大人である人は皆、
このように考えましょう。
あなた方は、
何か違う考え方をしていますか。
もしそうなら、その事も神があなた方に
明らかにしてくださいます。
ただし、私達は到達したところを
基準にして進むべきです。
兄弟達。私に倣う者となってください。
また、あなた方は、
私を手本として歩んでいます。
同じ様に歩んでいる人達に、目を留めて下さい。
というのは、私は度々あなた方に話しました。
今も涙ながらに言いいます。
多くの人が、
キリストの十字架の敵として歩んでいます。
その人達の最後は滅びです。
彼らは欲望を神とします。
恥すべき者を栄光とします。
地上の事だけを考える人達です。
しかし、私達の国籍は天にあります。
そこから主イエスキリストが、
救い主として来られるのを、
私達は待ち望んでいます。
キリストには、万物を、ご自分に、
従わせる事さえできる御力があります。
その御力によって、
私達の卑しい身体を、
ご自分の栄光に輝く身体
と、同じ姿に変えて下さいます。