次に、偶像に捧げた肉についてですが、
私達は、
皆知識を持っているという事なら、
わかっています。
しかし、知識は人を高ぶらせ、
愛は人の徳を立てます。
人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人は、
まだ知らなければならないほどの事も
知ってはいないのです。
しかし、人が神を愛するなら、
その人は神に知られているのです。
そういうわけで、
偶像に捧げた肉を、
食べることについてですが、
私達は、
世の偶像の神は、
実際には無いものであること、
また、唯一の神以外には
神は存在しないことを知っています。
なるほど、
多くの神や、多くの主があるので、
神々と呼ばれる者ならば、
天にも地にもありますが、
私達には、
父なる唯一の神がおられるだけで、
全てのものはこの神から出ており、
私達もこの神の為に存在しているのです。
また、
唯一の主なるイエス・キリストが、
おられるだけで、
全てのものは、この主によって存在し、
私達もこの主によって存在するのです。
しかし、
全ての人に、
この知識があるのではありません。
ある人達は、今まで偶像になじんできた為、
偶像に捧げた肉として食べ、
それで、
彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。
しかし、
私達を、
神に近づけるのは食物ではありません。
食べても損にはなりませんし、
食べても益にはなりません。
ただ、あなた方のこの権利が、
弱い人たちのつまずきとならないように、
気を付けなさい。
知識のあるあなたが、
偶像の宮で食事をしているのを、
誰かが見たら、
それによって力を得て、
その人の良心は弱いのに、
偶像の神に捧げた肉を、
食べるような事に
ならないでしょうか。
その弱い人は、あなたの知識のよって、
滅びることになるのです。
キリストはその兄弟達の為にも、
ご自分の命を与える為、亡くなりました。
あなた方は、
このように兄弟達に対して、
罪を犯し、
彼らの弱い良心を踏みにじる時、
キリストに対して、
罪を犯しているのです。
ですから、
もし、
食物が私の兄弟をつまずかせるなら、
わたしは今後一切肉を食べません。
それは、
私の兄弟につまずきを与えないためです。