神の御心によって、
キリスト・イエスの使徒として
召されたパウロと兄弟ソステネから
コリントにある神の教会へ。
すなわち、私達の主イエスキリストの御名を、
いたる所で呼び求めている
全ての人々とともに聖徒として召され、
キリスト・イエスあって聖なる者とされた方々へ。

たとえ、私が人や御使いの言葉を話しても、

愛がなければ、

騒がしいドラやうるさいシンバル

と、同じです。

たとえ、

私が預言の賜物を持ち、

あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、

たとえ、

山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、

愛がないなら私は無に等しいのです。

たとえ、

私が持っている全てのものを分け与えても、

私の身体を引き渡して誇る事になっても、

愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、

愛は親切です。

また人を妬みません。

愛は自慢せず、傲慢になりません。

礼儀に反する事をせず、

自分の利益を求めず

苛立たず

人がした悪を心に留めず、

不正を喜ばずに、

真理を喜びます。

全てを耐え、

全てを信じ、

全てを望み、

全てを忍びます。

愛は、決して絶える事がありません。

預言ならすたれます。

異言ならやみます。

知識ならすたれます。

私達が、

知るのは一部分、

預言するのも一部分であり、

完全なものが現われたなら、

部分的なものはすたれるのです。

私は、

幼な子であった時には、

幼な子として話し、

幼な子として思い、

幼な子として考えました。

だが、大人になった時、幼な子の事はやめました。

今、私達は鏡にぼんやり映る物を見ています。

だが、その時には、

顔と顔を合わせて見る事になります。

今、私は一部分しか知りません。

が、その時には、

私が完全に知られているのと同じ様に、

私も完全に知る事になります。

こういうわけで、いつまでも残るのは、

信仰と希望と愛

これら三つです

その中で一番優れているのは愛です。

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