私が使徒となったのは、人間から出た事ではありません。
また、人間の手を通した事でもありません。
イエス・キリストを死者の中から
甦らせた父なる神によるものです。
私とともにいるすべての兄弟達から、ガラテヤの諸教会へ。

兄弟達。

もし、

誰かが何かの過ちに落ちっている事

が分かりました。

なら、御霊の人であるあなた方は、

柔和な心でその人を正してあげなさい。

また、自分自身も、

誘惑に陥らないように気を付けなさい。

互いの重荷を負いなさい。

そうすれば、

キリストの律法を成就する事になります。

誰かが、

何者でもないのに、

自分を何者かであるように思うなら、

自分自身を欺いているのです。

それぞれ自分の行いを、吟味しなさい。

そうすれば、自分にだけは誇る事が出来ても、

他の人には、誇る事が出来なくなるでしょう。

人はそれぞれ、

自分自身の重荷を負う事になるのです。

御言葉を教えてもらう人は、

教えてくれる人と、全ての良い物

を、分かち合いなさい。

思い違いをしてはいけません。

神は侮られるような方ではありません。

人は種を蒔けば、刈り取りもする事になります。

自分の肉に蒔く者は、肉の滅びを刈り取ります。

御霊に蒔く者は、

御霊から永遠の命を刈り取るのです。

失望せずに善を行いましょう。

あきらめずに続ければ、

時が来て刈り取る事になります。

ですから、私達は機会があるうちに、

全ての人に、

特に信仰の家族に善を行いましょう。

ごらんなさい。

こんなに大きな字で、

私はあなた方に自分の手で書いています。

肉において外見をよくしたい者達が、

ただ、キリストの十字架の故に、

自分達が迫害されないように。

と、あなた方に割礼を強いています。

割礼を受けている者達は、

自分自身では、律法を守っていません。

なのに、あなた方の肉を誇る為に、

あなた方に割礼を受けさせたいのです。

しかし、私には、

私達の主イエスキリストの十字架以外に

誇りとするものが、

決してあってはなりません。

この十字架に付けられて、

世は私に対して死に、

私も世に対して死にました。

割礼を受けているか受けていないかは、

大事な事ではありません。

大事なのは新しい創造です。

この基準に従って進む人々の上に、

そして神のイスラエルの上に、

平安と憐れみがありますように。

これからは、

誰も私を煩わせないようにしてください。

私はこの身に、

イエスの焼き印を、帯びているのですから。

兄弟達。

私の主イエスキリストの恵みが、

あなた方の霊とともにありますように。

アーメン