この夜の客は、

仏国人・伊太利人・米国人等でありましたから、

会話には、すべてフレンチが用いられました。

米国でも他国の人が交わる時は、

多くフレンチが用いられるので、

交際社会における仏蘭西語(フランス)の勢力といふものは

盛んなものであります。

はじめ領事夫人の挨拶があり、

それからシンギングなどあって、

夜の十二時というに舞踏が始まりました。

男子は、多く燕尾服で、婦人は白が多く、

中にはリボンで裾を結んで、

それを担いで踊るものであります。

有名なマリーウィンドウの音符は、

室の一隅から湧いて舞踏する人の足並みを整えます。

日本でも

小股の切れ上がったのを美人の一条件にしますが、

もとより西洋の婦人は、

下半身が長く、足がごく軽くさばかれて、

ヒラリヒラリと踊る様は、

まことに百花繚乱の花園に翩翻と胡蝶にも似て、

華やかさ、美しさの限りであります。

舞踏室は、まず、多くは若い人達であります。

しかし、単に、想像すると、

ごく若い人ばかりで年寄りなどは、

一人もいないように思われますが、

事実はそうでなく、

50歳以上の老婦人を見受ける事も珍しくありません。

婦人の50歳以上となっては若々しい豊満な肉はなく、

肩もすぼみ、胸も骨ばってくるのでありますが、

それが若い人と伍して、嬉々として踊るのです。

ちょっと見れば骸骨の踊りです。

日本ではこんな様を見ては、

人は本気の沙汰とはしますまいが、

外国では、それだけ、舞踏を一番の楽しみなものとし、

真面目なものとして競うて、

これを行う事が分かるのであります。