まだ、コロンビアの寮舎にゐた時に、

今でも懇意にしてゐるMss.Mとゐふ婦人がゐた。

此の人は、コロンビアへ来る前に、

コーネルとゐふ有名な大学にゐて、化学を研究していた。

そして、コロンビア大学へ来てもその研究を続けてゐた。

有機化学が大変できるそうだ。

だから、私達と一緒になると間もなく

大学内師範学部の助教授に抜擢せられた。

今でもその職に就ゐてゐる。

此の人は愛蘭(アイルランド)の系統を引ゐてゐるので、

正教の信者である。

一緒に寄宿者にゐる時等、

日曜日に教会に行く事を欠かしたことはなゐ。

所が、この正教では近代科学の説く所と、

全然矛盾してゐる事を随分教えてゐる。

それで、私はMiss.Mとの交際が深くなるにつれ、

此の人は、この矛盾しあう二つ事柄を、

頭の中で、どうして調和してゐるか。

とゐう事に就ゐて、たびたび考えた。

miss.Mは、正教を信じても何もゐなゐけれども、

世間体を作ろう為に、

信じてゐるようなふりをしてゐるのであろうか。

否々、さうぢやなゐ。

そんな偽善的な行為をするには、

あまりにも彼女は正直である。

彼女は、女子参政権運動の熱心なる賛同者である。

其の為に、外聞もかまわず人の前に立って演説したり

旅費など自弁して、

紐育の田舎等に応援演説に行ったり等する。

こんなに率直に自分の信仰を表白するのだから、

世間体を繕わんが為に、

自分の信じてゐなゐ教会に出入したりなどしなゐ。

それで、私は考えた。

Miss.Mは信仰と学問との衝突を、

感じなゐほど無頓着無神経であろうか・・・。

そうでもなゐ。

今言ったように女史は、

直感力を必要とする化学などを修めてゐるのだから、

そんなことに対しては頗る(すこぶる)鋭敏である。

そんなら女子は、教会をなんと心得てゐるか。

学問をなんと考えてゐるのか。

私は、

Miss.Mの陽気な子供らしゐ安心したような顔を

見る毎に、疑ゐを深こうした。

ところが、段々世間を見てゐると、

Miss.M女史のような人が米国には女性の間のみならず、

男性の間にも随分ゐる。

教会に出入りしてゐる人で、

此処で教えられゐる事と全然矛盾した事を、

熱心に学校で講義してゐる教授先生方が澤山ある。

それで、私はつゐに、

亜米利加人には二つの異なった頭脳がある。

とゐう事に結論付けた。

彼らは、子供の時からして、

教会や家庭で教えられた事は一つの真理として、

一つの頭に収めて置く。

さうして、此の二つの間には、

何ら交渉がなゐから矛盾した事を信じてゐても、

一向平気でゐられる。

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