女子参政権運動と相前後して、
女子は、社会の各方面に渡りて、
男子の領分を蚕食(さんしょく)するに至った。
学校も、中等教育以下のものは、ほとんど彼らのものである。
教会もほとんど全部彼らのものである。
看護事業も彼らのものである。
商店も彼らのものである。
慈善事業もまた半ば彼らのものである。
この頃は、
新聞雑誌に関係し、著述を業とする者も、大分出て来た。
ハーバード大学の教授ミュンステルベルヒ氏が、
米港では、
男子は物質的富源の開拓と政治的生活に追わている。
だから、精神的方面の事を顧みる事が出来ない。
それに反し、女子は学校を卒業しても読書にふけり、
研究を積んでいる。
だから、
米国の精神的文明は、女性によって代表せられん。
と、するの傾向がある。
と、言ったのも無理ない事であります。
今、女流名家の1~2名を挙げるならば、
市俄古にはゼーン・アダムス、ミセス・ヤング、
今夜(4月14日)来朝せられました
ミセスメサー等の女傑があります。
ゼーン・アダムズが天下の女傑である事は、
皆人の知る所である。
ミセス・ヤングは、
現に市俄古という世界屈指の大都の学校管理委員長であり、
かねて米国学校教師会の会長である。
教師会の会長に選挙せられた時に、
相手となったのはコロンビア大学総長バットラー氏であっが、
競争の結果、バットラー氏を破ったとの事である。
ニューヨークには、ミス・デービスという
今度犯罪人懲治局の局長になった人がいる。
華盛頓(ワシントン)の中央政府には、レスロップと言って、
現に、チルドレンス・ビューローの頭をしてる婦人がいる。
これらの婦人が、貰っている俸給の高は、
我が国の内閣総理大臣の俸給と
おつかつに行くくらいであろう。
と、思います。
右の如き次第でありますから、
米国などにおりますと、男子と女子との間には、
一体全体どんな社会的区別が
存在するのであろうか
と、疑われるくらいであります。
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